2014
07.16

茅ヶ崎から辻堂にかけての裏道を、久しぶりに自転車で走ってみました。

おやおや、金魚屋がございませぬ。豆腐屋もございませぬ。

更地となり駐車場に変わっておりましたです。

何があったのか思い出せない場所もありましたが、新しい住宅が立ち並び、何やら知らないところに迷い込んでしまった不思議な気持ちになるのでした。

しかし、「ここは……!!」と驚いたのでございますです。

たしか墓場だった一画でありましたはず。
間違いはありませぬ。

辻堂一帯は、代々の墓地が住宅の隣に普通に寄り添ってたっていたりするのであります。

墓苑ではなく、それこそ10坪ほどの空間に一族代々の墓がであります。
そして「日露戦争にて戦死」などと墓石に彫られていたりするのでございます。

ここにも、そのような墓が傾たりして建立されておりました。

ほれほれ、ここなどは、その名残であります。
以前は屋敷でありましたのでしょうが、相続して維持できずにアパートを建てたのでありましょう。が、墓までは潰せなかったのでございましょう。

墓だった場所に家を建てるのは凶などと言うつもりはございませぬ。もっとも、そういう場所には住むつもりもございませぬが。

けれども、湘南!という地名に憧れて、建売を買ったまでは良かったものの、じつは墓場の跡地と知らされたときのお気持ちはいかがばかりでありましょうか。

「いま食った肉は人の肉でしたよ」
みたいな感覚で、アンジャルでありますですね。
「あなたの茶わんで、昨日まで犬のウンコをすくってました」
みたいでもありましょう。
「わたしね、100人以上の男の精液を飲んだことあるよ」
と結婚後に告白された夫の気持ち。
「オレはおまえの母親と寝てたんだよ」
と言われたらどーでありましょうか。

ケガレとはそういうことなのでありましょう。
が、終わったことならそれはそうと納得させることは可能でありますです。
墓場だった場所の建売を30年ローンで払い続けなければならぬとしたら、それは現在進行形で不倫を続ける配偶者をもつような気分より重いのかもしませぬですね。その浮気を知らないわけでありますれば。

しやわせは墓場の上で。
これも悪くはありますまい。