2014
07.09

心とカラダは一つだと私メは思っているのでありますです。

「カラダ目当てだったのね」
という自分の肉体に自信をお持ちのお女性さんがおりますが、「いやいや心にも少しは惹かれておりましたです」とあえて過去形にして返したりしておったことがございました。

犬にも涙はあるのでありましょうか。そこを観察すると、すこし悲しくなりますです。
人間は、悲しくなると涙がこぼれますですが、犬はそれがございませぬ。

涙と心は連動しているわけで、心の動きが肉体面にあらわれる特徴的なモノではないかと思ったりいたしますです。

運命学は、こういうバカげたことを追及いたしますです。
眼と口はどちらが重要かなんてことも考えたりするのであります。

眼はモノを見るだけ。
口は食べたり、呼吸したり、喋ったり、吸ったり、キスしたりと色々と用途が多いのであります。噛みつくこともありますですね。ぺろぺろも口の役目でありますね。ゲロを吐いたりもいたします。
口から肛門まで一本の管とみなしますと、口だけにキスをするのは片手落ちではあるまいか。アナルにもキスをすべきではないかとも考えるのであります。

アナルにキスをされる気持ちはど、どーでしょうか。
快楽もございましょうが、そこへのキスを許すほどに相手を愛していることに感動すると思うのは、男特有の甘さかもしれませんですね。

カラダの欲求は心を支配することは間違いありますまい。

手紙を書く、メールを打つという行為も、心を肉体に発露させることでありましょう。

それは自然であります。
が、ふたたび書きますですが、カラダの欲求が、心を支配する。つまり快楽を与えてくれる相手を愛してしまうというのも、これも自然なはずであります。が、なかなか肯定できるのは何かがブレーキとなっておるようでありますです。

スピリッチャルや心理学を頭ら否定している私メは、これでも四年間心理学を学んだのでありますですよ。それらの曖昧さを嫌って運命学に傾倒して、おお、30年近くも経過しておりますです。

人相学はカラダを見て運や心の領域へ踏み込むひとつの方法でありますが、古臭いはずが、これがバカに新鮮なのであります。