2015
04.18

明日は、十傳スクールの「奇門遁甲初等科」の初回なのであります。
どーいう人たちがいらっしゃるのか。
初めての方々が多く、私メも緊張しているのでありますです。

近所のドラッグストアで卵を買いまして、ゆで卵にして、そのお顔をカラーで描いたのでございます。
これを講義の休憩時間にでも一人ひとりに手渡し、お顔とお名前を頭に叩き込むわけでございます。

講義のノートを見返したいのでありますが、モリオカから戻ったら妙に疲れてしまい、ノートをめくっただけで眼がチラチラしていけませぬ。
そういえば新幹線では、ずだっと寝ていました。
東海道線でも寝ていました。
自宅でも夕方まで寝ていました。

で、バッグに用意すべきものを詰め込んだのでしたけれど、なにか大事なものを忘れているよーな気がするのでございますよ。
まぁ、頭に入っていることを講義すればイイのですから、その点では心配はございませんが…、そうそうお手拭きも必要ですし食塩も忘れてはいけませんでした。

何かに没頭することは素晴らしいことでございます。
それが占いでもかまいませぬ。
没頭しようとする方々の期待を裏切らぬよーに、さて、新鮮で面白いネタはと頭をめぐらすのでございました。

…またまた失敗談やらから下ネタまじりの脱線になるのでありましょうか。いや、脱線ではなく一例でありますから、そういう話は従でありますれば、帰りの電車で「従」だけしか覚えていなかったということにならぬよーにお願いいたしますです。

それではぼちぼち寝酒の時間とあいなりましたです。

2015
04.17

モリオカは花の季節を迎えております。桜もコブシも一斉に開花し、庭先の枝を払った梅も日を浴びて、花びらをひろげました。

はじめて気づきましたが、モリオカの桜は音という音を吸い込むのでございます。
おもたそうに咲いた桜の下を通ると、しんしんと降る雪の日のように、車の音も子供たちの歓声もとおく虚ろなのでございます。
「鴬宿にいかねっか?」
と老母にせっつかれました。
鴬宿は母方の祖父母が元湯をしていた温泉地でございます。
が、いまは廃宿地帯。

モリオカから一時間とすこしかかります。

小岩井の繋十文字からハンドルを左に切り、繋温泉を通り過ぎると茫々たる草原。カーナビには一本道の他、なにもうつりません。
やがてライオンズクラブの寂れ果てたゴルフ場。
そのあたりから巨大な温泉宿の廃屋が続くのでございます。

どんつきに、いまでも営んでいる長栄館だけが残っておりますが、タクシー屋も寿司屋も錆びたトタン屋根の下で廃業しているのであります。
ネットで「鴬宿温泉」と検索すると、華やかに営業しているように記されていますが、真っ赤な偽りであります。幽霊屋敷ばかりが軒を連ねているのが現状でございます。

以前は角屋旅館と看板を出していたそうでありますが、右側の建物が、母方の伯父が最後まで守っていた旅館だということであります。
すでに青山旅館の名残すらないのでありました。
「いがった、いがった、桜が咲いてなくて」
と母が申しました。

いかにも、廃館の満開の桜花はあまりに似合いすぎておりましょう。

何十年も前に関係した濁情の相手と、夜桜の中で再会したといった按配かもしれませんです。

時を経て、10年後に、こんどは一人でこの温泉街を、きっと訪れることになりましょう。
そのとき老いた私メの目に、どのように映るか。やはり桜の季節なのでしょうか。
いや、やはり桜の季節ではなく、霙の降る薄暗い日であることを祈るのでありました。

ふと、やわらかな唇の感触がよみがえったのは、どういう記憶の回路によるものか、そのワケを解析するよりも、そのやわらかさを消さぬようにと、ふたたび桜の花の盛りのモリオカへと進路を戻したのでございました。

2015
04.16

一年で二度の早春を体験したような、四月のモリオカなのでした。
庭には淡い色の花びらが恥ずかしそうにほころんでいるのでございました。
まさに乙女の季節なのでした。

そのかたわらで、今回の帰省の目的の一つである、味噌の仕込みをしているのでございます。

方法はいたって簡単。
味噌樽に塩をまぶし、そこに味噌玉を投じればイイだけのことでありますから。
が、この味噌玉が重いのであります。
なにしろ中腰で20キロほどのヤツを、樽のフチにくっつけないように落し、空気を出すために素手でこねるのであります。
右手はウンチがくっついたようにヤバつなくなりますです。
服にも黄色いヤツがくっつきますです。

「ダメ、もうダメだったら!」
とわめきつつ、その下で待つ快楽の扉を押し開くように、私メの指先は黄色い味噌の中でやわやわと動いてしまうのでありました。
最後に、樽の内側のフチえぐるようにいたします。
そうしないと味噌が完成したときに、樽にこびりつき味が濁るのであります。

汚れていない左手で撮影したものですから、何が何だか分からぬ画像になりましたが、これがまずは樽一つ完成ということであります。

八月になると白っぽい味噌として芳醇な香りを楽しませてくれることでありましょう。

何ごともそうかもしれませんですね。

お勉強も濁情も、寝かせることが必要でございます。
ただ味噌は経験則から四カ月待てばイイのですが、お勉強や恋は熟成までの期間が分かりませぬ。

そして熟成すればイイというものでもないことも多々ございます。
今しかないというケースの方が多いのかもしれませぬ。
待っているうちに熟成とは別に、タイムリミットが来てしまう場合もありますから。

心とカラダが別々のものだとすれば、熟成は心の領分でございましょう。心が熟成した時には、カラダは退化してしまっているものでございます。

老いさらばえたカラダを寄せあいながら「あのとき、もしも勇気があったなら、私たちの未来はどうだったのでしょうね」と語り合う男女がいたとしてもおかしくはございませんが。

八月に汗をかきかき、味噌仕立ての豚汁をすすることを、まずは期待することにいたしますです。