2016
03.11
03.11
ガッチリと塩の効いた鮭。
ただちに包丁を入れ、三枚に。
血合いのところを焼きましたら、んーん、見事なお味でございます。
でっかいハートでやり抜こうという気分になるのでありました。
小さなことにゴダゴダとするのはヤメにして、亀頭をぷつぷつさせるほどに勃起して生きればイイのであります。
明日は十傳スクール、断易高等科。残すところ、あと四回。
一期生も解体され、伝説となるのでありましょうか。
さよなら三角また来て四角であります。
あらたに金持ち実行委員の残党さんらを中心にした機運が誕生しておりますです。
四柱推命に「用神」というものがございます。
運命についてポイントとなる星であります。用神さえあれば運勢のすべてが好転するのでございます。
その用神は大運によって変化する場合がございます。
鮭を前にして、時流の変化の兆しを予感いたしました。
占いを学ぶことは、未来を予測することより、自分というものの癖を知り、目標をクリアすることにあるのでございます。
鮭が四年目に生まれた川に帰るなら、十傳スクールも四年目に入り、実質的な幸運を目標にせねばなりませぬ。それが占いの着地点であるからです。
もっと楽しく、もっと充実させ、さらに濃密で開運に密着した講義を展開せねば面白くありませぬ。
過去を見たってはじまりません。
この世は未来への一方通行。
いじけず、縮まらず、前を向いていればイイのであります。
自分の魅力は何か。
これを見つけることが「自由」へのスタートであります。
魅力とは、自分にあって他者にはないもの。自分にしか持ち合わせてないもの。そして大切なのは、それで周囲を和まるもの。コレであります。
さあ、でっかい気持で生き抜きましょう!
お世話になっております。
ある仙道を極めた方に、仙道は簡単ですよ、自分の真の願望を明確に分かれば自ずと叶うものですなどと、禅問答のようなことを言われたことを思い出します。
やってみると意外と大変でして、生まれ育った常識や見栄やらが邪魔します。自分の心の構造を客観的にカメラのように見れたらどれだけ楽か。先生の仰る自分の魅力と真の願望が何かクロスするようなヒントになるような。好きこそものの上手なれ、ではないですが、今は占いを極めることが生き甲斐となりつつあります。
引き続きよろしくご指導の程、お願いします。
●十傳より→自分の用神を見極めるのは大変でありますが、いまこの現状で、感情ではなく、どういう方向性に回り込むことが賢いかという、訓練はきわめて意義あることであります。
お世話になっております。
雨が凄いです。神楽坂、ふうふう亭、晩酌ラーメンセット、熟成味噌変え、焼き餃子です。
ブログながら的確なアドバイス誠にありがとうございます。
有利な方へまわり込め。この表現が絶妙ですね。この世の出来事は光の当て方次第で全く変わります。どうせ100年後には我々のおしょしい行いをどうこうすることはないんだ、と言い聞かせ、暴れまくるしかありません。
引き続きよろしくお願いします。
●十傳より→自分の愚かな信念だの自我と心中するほどおしょしいものはこざいませぬし。おのれの運命に内蔵している60干支を総動員しないと面白くございませぬ。おのれの中の他人を動かすことで運命はまっとうされるのかとも。「いつまで、そんなところにいるのだ」なんて、いつも思ってしまいますです。
お世話になっております。
おのれの運命のひと皮を剥くのは、自分の中の他人なのでしょうか?他人に見せたい鎧。その鎧を脱いだ自分、鎧を着れない自分、絶対相容れない他人。こいつが実はキーメーカだと?自分が一番嫌いな奴、アホらしくて真似出来ない奴こそに鍵があるのかも?などと、安酒は下らない妄想を喚起します。少なくても六十干支総動員するためには十傳スクールという道場が私には必要みたいです。引き続きよろしくお願いします。
十傳より→信念を優先したければ占いを生部のは時間とお金の無駄遣い。十傳スクールは運命を生き方の転機とする世界であります。自分の中に潜んでいる幸運な自分と、不運な自分。これをキチンと見つめ、幸運な自分を60干支を見つめつつ模索していくのであります。
お世話になっております。
恥ずかしい話ですが、実は会社をバーンと辞めてアタフタと池袋に行った際に出会ったのが先生でございました。ほら、やっぱり、運がある?ほらあ、間違いないだろ?よくこちら側に来たね、という風に感じたりしてました。それとも地獄行きのお見送りか。地位を捨てましたが、立向でまた地位は得ました。でも、まだ違うなと。我、など信念など虚しいです。リアルな結果が全て。金持ち前夜祭も間近に体験させていただきましたし、春からのスクールがっつり運命転機、この体で感じます。引き継ぎよろしくお願いします。
●十傳より→ああ、あの時がそーでありましたか。あれには私メも驚きましたです。