2024
05.14

ときには何んにもしない日を設けてもイイかもしれません。

愛犬と、朝からぐたっと寝そべって過ごしたり、お女性とふたり毛布にくるまり時を過ごすことも、あるいは心がやすまる方法かも。

私メは東京で仕事をしていると次第に殺気をおびたた心境に固まっていくことを感じます。そんなとき郷里に戻ったりすると、その緊張感がほどけて、
「すべてはどーでも良い事だったのだ」
嘘みたいに殺気が消えている自分に気づいたりいたしますです。

しかし、何んにもしないことは私メにとって苦痛というか、無駄にしたという忸怩たる思いにとらわれるのであります。
時間を無駄にした後悔だけでなく、生命を無駄にしてしまったという罪悪感にまで及ぶのであります。

つまり、肉を喰い魚を食い、米や野菜や果物を食って生きているわけで、一日を無駄にしたということは、それら犠牲にした生き物たちの命をも無為にしてしまったという罪悪感なのであります。

これは老母の影響かも知れませんです。
「ゆっくりと寝るのは死ぬときだけで良い」
が老母の口癖。
ボンヤリしていると叱られたものであります。

温泉で10分と湯に浸かってはいられないのも、そこに原因がありそーであります。
ウンコも早いのであります。
タバコを吸うのも早いのであります。

時間をかけるのは食事とおセックスくらいなものでしょーか。

日々、贖罪の意識においまわされて仕事などして生きているよーなものではないかと、ふと考えます。

方法はひとつだけございます。
断食であります。
断食をして何も犠牲にしない条件のもとなら、丸一日を何んにもせずに過ごすことができるかもしれません。

いや、なにもそこまでして、何んにもしない日を作らなくても…。

犬になってみたいものでございます。