06.15
実家の近所にある小さな神社が、明日から二日間賑わうようであります。
まだ鎮まりかえっておりますが、的屋っぽい男たちがちらほら見えるのでありました。
もう40年も昔のことですが、私メも清水焼の叩き売りのマネごとをした経験がございます。
それまでは、消極的でありましたから、とても大声を必要とする商売など出来るとは思ってもおりませんでした。
背に腹はかえられぬ事情で、やむなく、
「おいでやす、おいでやす!」と東北弁でガナったのでありました。
ところが、どんなところに才能があるのか分からないモノでして、一週間も続けたところ、完売に近いほどの盛況ぶりだったのであります。
自分でも奇妙な気持ちでありました。
郷里から離れ知り合いが誰もいない街での、クソ力にほかありませんでしたでございましょう。
私メの生年月日を調べますと、形ばかりの官殺がございまして…つまり自分を抑圧する星でありますが、それを破ることで、見知らぬ自分が発揮したわけであります。
十傳スクールでも、自分が人に何かを教えることができるだろうかと、いささか心配ではありましたが、どうにか半年もっていることも、また火事場の馬鹿力に似たところがございますです。
見知らぬ自分が正しいかどうかは分かりませぬが、誰にでも隠れている能力があるようであります。
いちど環境を変えてみるのも悪くはないことだとおもいますです。
人生の祭りのまえと、あとの違いを、すこし考えたりするのでありました。
占いで、こういう才能があると知っても、その才能が現実にならないと分からないモノでございます。
悪い運勢が去り、幸運が到来したとたんに、逆に悪い出来事が発生するケースもあり、それは祭りの前に、どのような生活をしていたか、ここにポイントがございますです。
悪い運勢の期間こそ、しつはとても大切な時期なのだということを、今度の講義では述べなくてはならないと、メモするのでありました。
先生は官殺だったのですね。
印多に沐浴2つの私も、殻を破って
新たな自分に出会えたならば
迷いや運気の波からも抜け出せるのかな。
●十傳より→可変のきかない人生はないのであります。運勢の癖を知り、そこを軌道修正する、そのために運命学の価値はあると存じますです。
おー!
なんだか四柱推命のあまりの当たり様に
最近ではそこから抜け出すことなど不可能と
考えつつありました。
悪い部分を普通のレベルまで引き上げるには
なかなかに大変な努力がいるのでしょうが、
その分、他の人が望むものを
すっと意識せずに手にしている可能性だって
考えられますよね。
悲観せず進みたいです。
●十傳より→「占いなんて」と言われながらも四千年も続いていることに四柱推命の価値があるようであります。やはり個人の感想を超えるモノがあるわけであります。
結婚運は、まず四柱推命で見る。
今年は結婚運かどうか・・・・と。
もし、一人は結婚運が出て、相手は来年と
一年ずれていた場合はどうなりますか?
しないか、それともどちらかが、相手に合わせるのか?
(引きずられて?)
お答えをお待ち申しあげます。
●十傳より→結婚運って言いましても、干合支合の時を見たり、財星や官星が健全になる時を判断することになりますですが、それとは別に、良い命式を持つ人に合わせるべきでありましょう。良い命式野判断は、これは推命学をお勉強しなくてはいけませんですが。
清水焼きですか〜。イイですねぇ。1度あの売り子をやってみたいと思っているのですが、なかなかその機会もありません。先生の売り子さんですか。きっと今やっても、先生のセクシーさに大盛況でしょうね。
そういえば、マンガで都をどりの団子皿が描かれていましたが、先生はお持ちではないのですか?ついでに艶っぽい話も…
●十傳より→お客はおもにオクラホマのドン百姓のオバハンたちでありました。京都最終日に買ってくれるのでありまして、売れるたびに「ゲンファック、ファック(原爆のつもり)」と意味のフレーズを叫んで、それがウケたようでありました。