2024
05.13

スクールを終えたら、きゅうに、ひかりものを食いたくなりました。
近くのイタリアンでイワシのカルパッチョでも…と事務所を出ましたが、足は、そのイタリアンではなく、勝手に地下鉄の階段をおり、神田へと向かったのであります。

神田は一年ぶり。
しかし、とても懐かしい町であります。

馴染みの寿司屋がインボイスのおかげで店じまいをしてしまってから、その店が現実になくなってしまっていることを見てしまうことが怖くて、遠のいておりました。
返す返すも腹立たしい文雄であります。
拉致して両手首を切り落としてやりたい気分。そして自宅の地下室で餌でも与えてやったら、そして手がないから犬のよーに餌を食うさまを見下ろしたら、さぞやうっぷんが晴れることでしょー。

さてさて、いつまでも馴染みの店の想い出にひたっても仕方ありません。

手ごろな寿司屋で、ひかりものを白ワインといっしょに。

「美味い…」の後に、「ん?」とすこし首を傾げたい雑味がかすかにしましたが、これも時代であります。

死んだ恋人の妹と偽りの恋をしている気分に似たお味であります。

それでもイタリアンでカルパッチョを口にするよりは良かった。

おしんこ巻きを口にしてから、それから神田界隈をブラブラ歩きながら、事務所に戻ったのでありました。

2024
05.12

5月の第2週の日曜日。
母の日であります。

流刑地に住まう老母にカーネーションを贈りました。

こんな老いた者の目をなごますために咲いたのではない、と花々は不満に思うかもしれませんが、そこは我慢していただきました。

花は美しくひときわ人目にふれ、多くの人たちを感動させることが幸福の究極であると、十傳スクールの四柱推命の講義で語っております。
根腐れを起こさず、害虫の被害にあわず、ほどよい水分と暖かな日差しと、やわらかな土の栄養を吸って気高く咲くという条件がそろって、はじめて乙日生まれの人はしやわせになるのだと。

しかし、もうひとつ大切な理想があるとすれば、甲木に巻き付き、どの花よりも高い場所で存在を認められることでしょか。

この最後の理想が、はたして流刑地の小部屋に飾られて達成させられるか。
この保証は守られることなく、やがて花びらをおとし散り枯れることになるのでありましょー。

もしも、流刑地の小部屋に悪い「気」があれば、枯れる時期は早く、良い「気」があったとしても、枯れる運命から逃れることはできません。

が、もしもモリオカの無人の実家を飾ったとしたらどーでありましょー。

スマホの見張り番を遠隔操作し、その実家の庭を眺めましたら、躑躅が赤く庭を埋め尽くしておりました。
誰の目にもつかず花々は一面に風に揺らぎながら咲いているのでありました。

「これでイイのだ」

贈ったカーネーションも庭の躑躅も、私メは見ることが出来ないのでございます。

2024
05.11

たまに行くジムには、いつも老婆ちゃまがオープンをまっておるのが習わしであります。
それでも若い頃は恋をして、「好き!」とかさけんで男の胸に飛び込んだりしたこともあるでしょう。
じくじくした涙を流し「あたしたち、もうおしまいね」なんて言葉をぶつけたことも。

歌の歌詞とか、映画では、別れてもせいぜい2年か3年という設定。あのひとは今頃、どーしているのかしらという内容になるのであります。

二十歳で別れた男女が80才過ぎに再会し、それでも抱き合うという設定はエグ過ぎるのかもしれませんですね。
薄っハゲで出っ腹のジジイが臭い息で「会いたかった」と言ったって気持ち悪いだけ。
またお女性も茶色く汚れた歯、しなびた乳房と肉の落ちた尻をどーするのでありましょーか。
そしてシミの浮き出た頬を寄せて口づけなどしてイイものでしょか。法律でゆるされるのでしょーか。
灯りを消し、墓穴のような暗がりでなければ。

明治の易聖として高名な高島嘉右衛門の自叙伝を紐解きましょうか。
嘉右衛門は17歳の頃、岩手県の炭鉱に親父と入っていたそーであります。親父が体調を崩し、江戸に帰ってからは、嘉右衛門が大将となって働いたとか。
若かったでしょうから、精力がありあまり、村におりては女郎宿でお女性を買って遊んだはずであります。
事実、岩泉には高島姓が多いのであります。

さて、嘉右衛門が横浜で大成功した晩年に、ふと岩泉の炭鉱に出かけたそうであります。
そこで盛大な接待を受けたと記録されています。
しかし、会いたかった小菊という名のお女性がおりません。
宴がお開きになったあと「小菊はどーした?」と聞いたところ、後ろに座っていた梅毒で鼻の欠けた老女が、
「わたすはさきほどからずっとここにおりましてよ」
しわがれた声で答えたそーであります。

ホラーでございます。

いや、それでも、50年も前に仲の良かったお女性にあってみたいと思うのであります。
ドブ臭い息を嗅ぎあってみたいともおもうのであります。