2024
05.15

立体パーキングの階段にでましたら、お女性のしくしく泣き声がいたしまして足を止めました。

鉄階段の下の踊り場で、女の子がしゃがんでおります。
おそらく仕事で注意を受け、それとも同僚との悪口に耐えかねてか、それでここまできて悲嘆に暮れているご様子。

泣いているお女性に声をかけてはならない。

語られざる、これが男の鉄則。
私メもまだ男のはしくれでありますれば。

「辞めるなよ」
心で語りかけて、別のドアからエレベータで階下に降りたのでありました。

職場はどこも地獄を体験するのでしょー。
給料を得るために毎朝、混みあう電車に乗り、おべんちゃらを言ってお客に対応し、ぶん殴りたくなるほどのくだらない上司の命令にしたがったりして、大切な予定があっても残業を優先させる日々。
これが自分の人生で、それが永遠に続くのかとおもうと、病気になってもおかしくはなく、時間だけが失われ、妥協した恋愛に満足しなければならないのかと、そういう絶望的な感情に、どっと襲われ、
「わたしは何をしているのだろうか」
踊り場にしゃがみこんでいるわが身が情けなくなるのでしょーか。

それでも辞めてたら、その日からこんどは別の苦労か待っているのであります。

せめて宝くじに当たれば…。しかしスカばかり。
運命にも見捨てられたかと。
親の誕生日にはプレゼントをしたり、すこしだけれど募金もしたり、神社で参拝もしているのに、ひとつとして報われない自分。

けれども、だとしても運は自分を見捨てることはありませんです。
大運に切り替わると、予期となかった別の角度から光が射しこむことは事実であります。

そのためには「耐え忍ぶ」という、古くから言われている手垢にまみれた言葉が必要かもしれません。

世界は自分だけのものであります。
自分が死ねば、世界も同時に消滅するのでありますから。
この世の主人公は自分。
あとのすべてはマボロシ。

ダメな時は、そこを動くな。
これに尽きますです。

2024
05.14

ときには何んにもしない日を設けてもイイかもしれません。

愛犬と、朝からぐたっと寝そべって過ごしたり、お女性とふたり毛布にくるまり時を過ごすことも、あるいは心がやすまる方法かも。

私メは東京で仕事をしていると次第に殺気をおびたた心境に固まっていくことを感じます。そんなとき郷里に戻ったりすると、その緊張感がほどけて、
「すべてはどーでも良い事だったのだ」
嘘みたいに殺気が消えている自分に気づいたりいたしますです。

しかし、何んにもしないことは私メにとって苦痛というか、無駄にしたという忸怩たる思いにとらわれるのであります。
時間を無駄にした後悔だけでなく、生命を無駄にしてしまったという罪悪感にまで及ぶのであります。

つまり、肉を喰い魚を食い、米や野菜や果物を食って生きているわけで、一日を無駄にしたということは、それら犠牲にした生き物たちの命をも無為にしてしまったという罪悪感なのであります。

これは老母の影響かも知れませんです。
「ゆっくりと寝るのは死ぬときだけで良い」
が老母の口癖。
ボンヤリしていると叱られたものであります。

温泉で10分と湯に浸かってはいられないのも、そこに原因がありそーであります。
ウンコも早いのであります。
タバコを吸うのも早いのであります。

時間をかけるのは食事とおセックスくらいなものでしょーか。

日々、贖罪の意識においまわされて仕事などして生きているよーなものではないかと、ふと考えます。

方法はひとつだけございます。
断食であります。
断食をして何も犠牲にしない条件のもとなら、丸一日を何んにもせずに過ごすことができるかもしれません。

いや、なにもそこまでして、何んにもしない日を作らなくても…。

犬になってみたいものでございます。

 

2024
05.13

スクールを終えたら、きゅうに、ひかりものを食いたくなりました。
近くのイタリアンでイワシのカルパッチョでも…と事務所を出ましたが、足は、そのイタリアンではなく、勝手に地下鉄の階段をおり、神田へと向かったのであります。

神田は一年ぶり。
しかし、とても懐かしい町であります。

馴染みの寿司屋がインボイスのおかげで店じまいをしてしまってから、その店が現実になくなってしまっていることを見てしまうことが怖くて、遠のいておりました。
返す返すも腹立たしい文雄であります。
拉致して両手首を切り落としてやりたい気分。そして自宅の地下室で餌でも与えてやったら、そして手がないから犬のよーに餌を食うさまを見下ろしたら、さぞやうっぷんが晴れることでしょー。

さてさて、いつまでも馴染みの店の想い出にひたっても仕方ありません。

手ごろな寿司屋で、ひかりものを白ワインといっしょに。

「美味い…」の後に、「ん?」とすこし首を傾げたい雑味がかすかにしましたが、これも時代であります。

死んだ恋人の妹と偽りの恋をしている気分に似たお味であります。

それでもイタリアンでカルパッチョを口にするよりは良かった。

おしんこ巻きを口にしてから、それから神田界隈をブラブラ歩きながら、事務所に戻ったのでありました。