2024
05.17

発作的に食いたくなるもののなかに、餃子がございます。

はじめて餃子を食ったのは17の時。
叔父が家庭教師をしていた家が餃子屋で、お土産にもらった、そのおすそ分けで食ったのでありますが、一個を三等分し、そのひと欠けでしたから、味がよく分かりませんでした。
言っておきますが、モリオカの餃子はダメであります。

本格的に食ったのが京都。
とうじ京都にはラーメンが存在しませんでした。
学食でラーメンを注文すると、蕎麦汁にラーメンの麺が入っているのでした。
その代わり、うどんと餃子は絶品でした。
とくに新京極のいりぐちにあったカッパ天国は死ぬほど美味いのでありました。
五人前とか注文してペロリでありました。

京都の餃子を知ってしまってからというものの、定期的に餃子を欲するカラダになってしまったのであります。
東京に出て、「餃子三人前」と注文すると、店主や店の客たちが、
「これからナニをするところだ?」
とでもいうように振り返るのでありました。

夏になり、気温が上がった午後には、
「ああ、餃子が食いたい。ビールをグビッとやって、餃子を食いたい」
餃子に頭が占められるのであります。

十傳スクールが終わったら、王将に飛び込むかな。
そして「餃子四人前!」
と注文してみよう。
レモンの酎ハイと。

2024
05.16

諦めたのであります。

夏を毛嫌いしても、夏はくるのですから。
と、毎年、同じサトリをひらいているのでございます。

浜に人影はなく、海はあたらしい恋の背景を整えているのでした。
去年のふたりでも、10年前のふたりでもなく。

私メもイワテの海ではじめての経験をした一人であります。
お女性の首が、かくまで細いことに感動したのでございます。
こんなにもやわらかいものなのか。
とおいとおいむかしの話。

あの日の方位をかえりみますと、時盤が「壬×丙、天英星×景門、四緑×螣蛇」。
ほほぅ、という感じであります。
短い恋を告げていると、結末からみて理解できますが、若いふたりにはお似合いだったかもしれません。
その前の方位は「青龍返首」。
では、その青龍返首を使えば良かったかといえば、
「それはどーかな?」
首を傾げる次第であります。

もちろん当時は、奇門遁甲など知るよしもなく、ただ情熱という熱病におかされていたのであります。
好きではあっても、結婚とかそういう不純な関係を求めてはおりませんでした。
好きで好きで、もうどーしよーもないところまで来ていたのでありました。
ですから、「壬×丙で螣蛇が付す」方位でちょうど良かったのであります。

今年の海も、あたらしい恋をまっているよーであります。

2024
05.15

立体パーキングの階段にでましたら、お女性のしくしく泣き声がいたしまして足を止めました。

鉄階段の下の踊り場で、女の子がしゃがんでおります。
おそらく仕事で注意を受け、それとも同僚との悪口に耐えかねてか、それでここまできて悲嘆に暮れているご様子。

泣いているお女性に声をかけてはならない。

語られざる、これが男の鉄則。
私メもまだ男のはしくれでありますれば。

「辞めるなよ」
心で語りかけて、別のドアからエレベータで階下に降りたのでありました。

職場はどこも地獄を体験するのでしょー。
給料を得るために毎朝、混みあう電車に乗り、おべんちゃらを言ってお客に対応し、ぶん殴りたくなるほどのくだらない上司の命令にしたがったりして、大切な予定があっても残業を優先させる日々。
これが自分の人生で、それが永遠に続くのかとおもうと、病気になってもおかしくはなく、時間だけが失われ、妥協した恋愛に満足しなければならないのかと、そういう絶望的な感情に、どっと襲われ、
「わたしは何をしているのだろうか」
踊り場にしゃがみこんでいるわが身が情けなくなるのでしょーか。

それでも辞めてたら、その日からこんどは別の苦労か待っているのであります。

せめて宝くじに当たれば…。しかしスカばかり。
運命にも見捨てられたかと。
親の誕生日にはプレゼントをしたり、すこしだけれど募金もしたり、神社で参拝もしているのに、ひとつとして報われない自分。

けれども、だとしても運は自分を見捨てることはありませんです。
大運に切り替わると、予期となかった別の角度から光が射しこむことは事実であります。

そのためには「耐え忍ぶ」という、古くから言われている手垢にまみれた言葉が必要かもしれません。

世界は自分だけのものであります。
自分が死ねば、世界も同時に消滅するのでありますから。
この世の主人公は自分。
あとのすべてはマボロシ。

ダメな時は、そこを動くな。
これに尽きますです。