2024
05.11
たまに行くジムには、いつも老婆ちゃまがオープンをまっておるのが習わしであります。
それでも若い頃は恋をして、「好き!」とかさけんで男の胸に飛び込んだりしたこともあるでしょう。
じくじくした涙を流し「あたしたち、もうおしまいね」なんて言葉をぶつけたことも。
歌の歌詞とか、映画では、別れてもせいぜい2年か3年という設定。あのひとは今頃、どーしているのかしらという内容になるのであります。
二十歳で別れた男女が80才過ぎに再会し、それでも抱き合うという設定はエグ過ぎるのかもしれませんですね。
薄っハゲで出っ腹のジジイが臭い息で「会いたかった」と言ったって気持ち悪いだけ。
またお女性も茶色く汚れた歯、しなびた乳房と肉の落ちた尻をどーするのでありましょーか。
そしてシミの浮き出た頬を寄せて口づけなどしてイイものでしょか。法律でゆるされるのでしょーか。
灯りを消し、墓穴のような暗がりでなければ。
明治の易聖として高名な高島嘉右衛門の自叙伝を紐解きましょうか。
嘉右衛門は17歳の頃、岩手県の炭鉱に親父と入っていたそーであります。親父が体調を崩し、江戸に帰ってからは、嘉右衛門が大将となって働いたとか。
若かったでしょうから、精力がありあまり、村におりては女郎宿でお女性を買って遊んだはずであります。
事実、岩泉には高島姓が多いのであります。
さて、嘉右衛門が横浜で大成功した晩年に、ふと岩泉の炭鉱に出かけたそうであります。
そこで盛大な接待を受けたと記録されています。
しかし、会いたかった小菊という名のお女性がおりません。
宴がお開きになったあと「小菊はどーした?」と聞いたところ、後ろに座っていた梅毒で鼻の欠けた老女が、
「わたすはさきほどからずっとここにおりましてよ」
しわがれた声で答えたそーであります。
ホラーでございます。
いや、それでも、50年も前に仲の良かったお女性にあってみたいと思うのであります。
ドブ臭い息を嗅ぎあってみたいともおもうのであります。
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独断的恋愛論 /
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2024
05.10
廃屋ではありませんが、先ごろ、80歳になる悪口癖の耄碌ジジイが亡くなり、そーしましたら家が急に寂びれたよーらなったので廃屋と呼んでおります。
主が死んで廃屋になると同時に赤い花が満開に咲くという不気味な現象に見舞われたのてあります。
まるで「自由」を謳歌するみたいに。
最近、色々なセクシャルハラスメントが幅をきかせ面倒なことになっておりますね。視線だの言葉だの、メールでも文章の最後に「。」を付けると相手が傷つくとか、バカみたいであります。
人には人を傷つける能力があり、あまり気にしすぎると気が狂ってしまいますです。
私メは、朝の一声があります。
「チョーゼンジン!」と叫んで床を出るのであります。
けっして差別ではございません。いえ、その気持ちはいつもよりはないのであります。
気付けの一声であります。
だから食べ物が美味な時も「チョーセンジン!」と叫ぶのであります。
皆さまも試しに叫んでご覧くださいませ。
限りない自由な風が体内を吹きわたりますから。
青物県では、「あいったぁ!」と意味不明の感嘆句がございます。
楽しい時も嬉しい時も、腹が立つ時も、つまり何かに心が騒いだ時、「あいったぁ!」が出るのであります。
それと同じでしょーか。
そして、「あいったぁー!」より罪深くてスリル満点。
あたらしい呪いの言葉ではないかと。
仏壇に向かって放屁するごとき後ろめたい快楽なのであります。
あまりモラルばかりを気にしているとつまりませんですよ。
傷つくのではなく、傷ついたふりをして賠償金をせしめたいのが本音ではないでしょーか。
そのうちに「誰よりも愛している」と公言するのもハラスメントとして叩かれるかも。
廃屋に自由に咲く花々を眺めつつ、花々が羨ましくなりました。
宝島という悪党夫婦が殺されて良かったですね。
てっきり商店街の人たちがお金を出し合って仕掛け人たちに依頼したのかと思いました。
「そーだそーだ」
と嘘でも同意してくださいよ。
赤い花々のよーに人生が自由に動き出すはずです。
このごろ世間はおかしいですよ。
もちろん私メもおかしいのであります。
2024
05.09
入道雲のなりそこないが青空に発生いたしました。
なりそこないではあっても入道雲てあります。
ついに恐れていた夏が到来したよーであります。
まだ空は若く瑞々しい夏の力がございます。
11月まで6か月もあります。
私メはただただ夏が恐ろしいのであります。
他国の軍隊が攻めてきたら、それが夏であればお陀仏かもしれません。
じつは15歳から18歳にかけて、ローマ字で「予言の書」を書き、それを仲間に回していたことがございます。
予言の書といっても、だれそれが喧嘩するだろうとか、失恋することになるとか、そんな他愛のない事であります。でも何となく当たっていまして、仲間たちに「妙に当たるじぇな」と言われましたが、「いやいや、現実を冷静に眺めた当然の帰結を書いただけだでゃ」と、まぁ、それはそれで面白かったのであります。
問題は…といってもたいした問題ではないのでありますが、予言の書は、74歳の老人になった私メのモノローグ形式なのでありまして、その老人の私メは、ソ連に拿捕され、シベリアの粗末な小屋で書いているという設定なのでありました。
抑留され病を得て、いまわのきわで過去を振り返っているのでありました。
その齢になるまで、まだすこしだけ間がありますが、遠い未来ではございません。
世界情勢も悪化しております。
夜の来ない昼はないのであります。
備えなくてはいけません。
しかし季節は夏に向かう最悪の状態。
トホホなのであります。
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死の扉 /
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