2011
04.15

「Hよりも、お花見よりも大事なことがあります!」
ってなことを以前、演説されたことがございました。

ちょうど桜が三分咲きくらいで、いよいよ桜の季節がはじまろうという…あれはいつのことだったのでありましょうか。記憶がうすれかけて、その言葉しか覚えてはいないのであります。

しかし、桜の盛りがおわり、花弁がこのように散り乱れるのをみていると、花見より大事なことなどなにもないような気になるのであります。

「愛する心か大切です。愛する人のためならすべてを投げ出す気持ちです。私にはそれがありました」
と演説する彼女の言葉を受話器から耳をすこしはなして聞きながら、桜の花びらを眺めていたのでありました。

恋のウンザリするところは、さいごにどちらかがバカに真面目になるところであります。

笑いさざめきながら終わることはできないのでありましょうか。

せめて携帯メールをキレイな思い出に染めておわりにしようとして「キミのことはずっと心にしまっておくでありましょうザンス」てなメールを不機嫌になりかけている感情を押し殺して送るのですが、「いまさらそういう甘い言葉をいわれても私の傷ついた心にはなにも感じません」とかウヒャー!という返事がくるばかり。

今年の桜も散りいそぎ、散った梢にははやくも若葉が顔をだしているのであります。
この不安定な季節のつぎには落ち着いた新緑の日々が待っているのであります。

しかし、やはり呻くように咲きほこった桜を仰ぐことは、恋よりも心よりも大切なのだと、年をとればとるほど痛感するのであります。