04.28
愛犬ロメオも膝のうえで大あくびをするほど平和で静かな町なのでありました。
湘南はいま花の季節を迎えております。
つい数日前まで被災地にいたとは思いもよらぬ、まるで極楽にすんでいるような気分なのでございます。
私の見たものは何だったのか、悪い夢でも見ていたのではないかと思うほどであります。
昨夜まで体に沁み込んでいた釜石の臭いも、今朝は消えておりました。
まぶしいほどの花々が、たばこの自動販売機をつつむように咲きほこっているではありませんか。
抜けるような青空。
私は自転車で町を眺めるのでありました。それはちょっとした罪悪感をともなうのでありますから、よけいに花たちが目にしみるのであります。
女たちが手招きしているようでもあります。
その女たちはみなうすいベールをまとい裸のラインが透けているようなのでありました。
世の中には「運」というものがあるのだと、このたびの震災であらためて痛感したのであります。
それは、そのまんま東だったかが宮崎県知事になったとたんに、宮崎県に災難が次々に襲いかかったように、悪い運を背負ったパイロットが操縦する飛行機にのったようなものであります。
民主党が政権をとったこととの因果関係を研究しても面白いかもしれません。なにしろ民社党の地盤である岩手県に津波が押し寄せたのでありますから。
この幼稚な党に投票した日本国民もどこか狂っていたのかもしれません。
有能とか無能とかとは別の視点で「運」を見ていくことも今後は必要になっても良いであろうと、そんなことを思考しつつ、自転車のペダルをこぐのでありました。
おお、藤の花も見ごろなのであります。
藤は不死にも、富士にも通じますです。が不治にも通じ、バカは死ぬまで治らないと、我々に告げているのであります。
ならばバカのままでもいいではないか、スケベのままで朽ち果てようなんて覚悟をきめたりするのでございますです。
いつしか、自転車で鎌倉へと向かっているのでありました。
海岸線を、江の島を右手に見て、腰越を抜け、稲村が崎を通って、鎌倉はその向こうにあるのであります。遠いのであります。遠くてもいいのであります。帰る辛さなどかまわないのであります。行くだけ行くのであります。
花たちは家々の軒先から、あるいは道にたれさがるように、信じることができないくらいの絢爛さで、鎌倉まで痺れるような匂いをはなってくれているのでありました。
夏の一歩手前の、一年間でそう何日もない快適な陽気を、私は一人占めしているようであります。
まるで成熟するまえの一人の少女に手ほどきをしているみたいに。そして私自身もまた思春期の少年にスリップしたみたいに。
そんな贅沢な一日なのでありました。