2011
04.19

さいしょは楽しいトイレなのであります。
「誰が考えたのだ」
「考えたにせよ、それを具体化するとは」
と男どもは、笑いあいながら連れションをするのであります。

連れションしながら、相手の姿をみていると、なんという臨場感でありましょうか。乱交パーティーのごとき眺めに、おもわずニヤリ。
そして滴をきったのち、背中のボタンをおして水を流すのであります。

が、何度も通ううちに、自分専用のトイレが確定していくから奇妙なのであります。

すべてのトイレをまわり、ひとつひとつに微妙なクセがありまして、それぞれに名前をつけまして、
「やはりオレはベロニカ(ほんとうは日本語なのですが、もしやみなさまの中に同名がいては申しわけないので西洋名にしました)がイチバンだよ」
なんてことに決まっていくのであります。

ところがペロニカでヤッている先客がいたりしますと、複雑な思いになるのであります。
「オレのベロニカを、畜生!」
となるか、それとも、
「おお、ベロニカよ、その男によく可愛がっておもらい」
となるかはソレゾレでありましょう。

ベロニカを使いながら、いちどだけ使用したことのあるジェシカと他人をよそおって目配せし合う共犯関係もまたたまらなくそそられるのであります。

恋愛でもっとも苦しいのはジェラシーなのであります。
ジェラシーさえ克服してしまえば、恋愛は自由自在。余裕をもって当たれるのでございます。
ジェラシーによって濃厚な愛を経験することもできますし、逆にジェラシーによって愛を濁してしまうケースもあるのでございますです。

所有欲、私有欲。
けっきょく恋愛で傷ついてしまうのは、この自分の欲に傷つくわけなのであります。

混浴温泉で、自分の彼女を男どもに披露して、
「どうだい、イイ女だろう」
と声には出さずに、雰囲気で自慢したりするのはじつに気持ちのイイことかもしれません。
するとまわりの男たちは、
「ちきしょう、今夜、この女とオタノシミかい…!」
と、やはり無言で、雰囲気だけの会話。

女性だって同じであります。
旅館の浴室までの長い廊下を浴衣姿で彼氏とぶらぶらしながら、すれ違う女どもに、
「どう、イイ男でしょ。羨ましいでしょ」
なんておくれ髪をそっと指で整えたいモノではありませんか。
いやいや、それとも大浴場で、彼にはげしく愛された証拠のキスマークのついた首筋などを、どこかのちいさな女の子にのぞかれ
「あのオバちゃんね、首やオッパイのところケガしてるよ」
なんて小声でいっては
「だまってなさいって、よそのオネェさんのことジロジロみないの」
と母親にたしなめられるのを、そばで聞くのもまた微笑ましい優越感モノでありましょう。

このトイレレはそういう心を鍛えるためのひとつやもしれませぬ。
同じような趣向のトイレが女トイレにあってもよさそうなものであります。

2011
04.19

ベルイマン監督の映画に「野イチゴ」という作品がございました。

老人の性を野イチゴと置き換えている幻想的な作品であります。

その影響なのか、イチゴを見るたびに射精直前のグランデにみえて仕方ないのであります。

女の子がイチゴを先っちょから頬ばっているのを直視できません。直視できませんが盗み見ては、なぜか上機嫌になるのであります。

人間がおもわず微笑むのは、お金をもらった時くらいなものですが、こういうエロっぽいヤツを目撃するときもそうでございます。

ことに年老いると、若い子をみただけで楽しい気分に誘われるからおかしなものでありますね。

ところで風評の被害ということを盛んにいわれていますですけど、ほんとうに風評なのかどうかが問題でありますね。
また、放射能汚染がなかったとしても、ウンコを盛った皿をよく洗ったからといわれても、カレーを注がれて食えるかと言われれば、ちょっと敬遠するのと同じく、伏死魔周辺の農作物にはちと手をだせませんです。

性病になったことのある相手とHなことはおろかキスさえも抵抗があるというのが自然の感情ではありますまいか。
放射能(疑惑)のとちおとめ…。
今年は安いのであります。