11.27
気づいたら北丹波鉄道に乗っているのでありました。
寝不足で、うとうとしているうちに目の前の風景は変化するのでした。
開運カレンダーの付録にする福本銭をバッグに入れまして、開運の「気」を入れに列車は走るのでございます。
たとえ天変地異が起きようと、地に戦いが満ちようと、自分さえ良ければ良い。これが運命学の基本的な立場でこざいます。
自分さえ良ければいいのに、自分だけがダメだというのが現実でありまして、その元凶は、心の中に救う誤った優しさ、独りよがりの愛情、つまり優柔不断なのであります。
この別名、貧乏神の優柔不断さを福本銭に吸わせ、それを捨てる。
福本銭の効用がこれであります。
で、その場所へと、私メは旅行をしているのであります。
ここは由良川。
喜撰法師が、
「由良の戸を、わたる舟人舵をたえ、ゆくへも知らぬ恋の道かな」と呼んだといわれる川でございます。
一説には、その川は四国の川だとも言われますが、まずはそこはテキトーに。
山椒大夫の舞台でもあります。
いまは貧乏ジーゼル電車が走るのみでありました。
秋の日は山におち、夜の気配が忍び寄っているのでありました。
発作的にとある駅に降りるのでありました。
なつかしい跨線橋をみかけたからというわけではありませぬ。
一両車両の次の電車は1時間後だということを記憶のすみにとどめ置き、無人改札を出たのでありました。
人がおりませぬ。
いたとしても、迎えに来た軽トラにのって何処かえ去っていくのでありました。
私メだけが駅に取り残されるのであります。
いっぱいのラーメンで良いのであります。カレーだっていい。
やはり冷や酒一杯もあれば、より良いのであります。
店がありませぬ。
これが駅前の風景。
いやありましたです。
しかし、淋しき空腹は、「そこではない」と告げるのでありました。
さて、この旅行は聖地へと明日も続くのであります。
ずっしりと福本銭が肩に食い込むのでありました。