2015
05.21
セックス…いや絶句したのてせございました。
玄関側が斜めに切れた家でございます。
十字路ゆえ、欠けをこしらえたのでありましょうが、この方位は北西。
北西の欠けは主人の威厳をなくしたり、商売が失敗したりいたします。
しかも、この欠けは、二段欠けとなっております。
「あなたはもう終わりですね」
とこの家の主人に宣告するつもりは毛頭ございませんけれど、何を考えて、このよーな最低な家を作るのでありましょうか。
しかし、たまに北西欠けの家でもお金が貯まることがございます。
でも、少しするとご主人などが病気に倒れるのでございます。
この家も、銀行にふんどられるのは時間の問題か…としばらく観察する興味がわきましてございます。
来たる5月30日の家相セミナーをひかえておりまして、つい目が厳しく家々に向けられているのでありますです。
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2015
05.20
時代は、右の画像のようになっているのであります。
世の中は変わらなくてイイのであるのに、時代を変えよ―などと思い上がった熱意を上げる者がいるために、このよーなつまらぬ絵になり果てるのでございます。
このお女性たちは、天使のような少年に何をしよーとしているのか。
この絵では、優しく可愛がっているだけでございます。
そして、優しく接することが正しいと思い込んでいるのが、いまの世の中の目指しているつまらぬ未来なのではないかと思うのでありました。
この絵は清く正しくつまらなく修正されておりますです。
で、修正前の画像が、コレ。
いきなりお女性たちが輝いて見えるではありませぬか。
天使の少年が、悪魔の子供には見えませぬか。
コレでイイのであります。
おちんちんを摘まんでいるお女性は深く背を丸めて、もうソレしか見てはおりませぬ。
おそらく男の兄弟がいないお女性かもしれませんですね。ウブで素直でイヤラしいお女性であります。
そして、その上を行くのが、右側でオッパイを押さえているお女性。
積極的に誘惑しております。
少年の左手を押さえている後ろのお女性は、どこかユダっぽいのであります。
こういうお女性は、友達の彼とひそかに情を交わしているものであります。
こういう悪戯をされて少年は大人になり、大人になってからお女性たちのスケベさを正しく認めるヒトカドの男に成長するのであります。
が、今の世は急激に性的なモノを覆い隠すよーになっていますです。
エロ雑誌にも面白くございませぬ。
ドローンを飛ばしたくらいで犯罪者になる時代でございます。
以前、皇居のカモを矢で射ったことが大問題となって腰を抜かしましたけれど、たかがカモでありますですよ。鴨南蛮のカモはイイのかと判断に苦しんだものであります。
ところがホモまで認める時代。
ホモをイジメれば差別だとさ。
オリンピック反対者はどーなったのでありましょう。
東京に外人がクソをしに集まってくるのでありますですよ。
エロだけが心を麗しくさせるものでありますです。
むすむすと不満が渦巻くとき、私メはいつも新しい何かを思いつくものでありますが、まだ頭の中は空っぽでございます。
まずは集めたエロコレクションを眺めたいと思いますです。
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2015
05.19
このお花は、吊るしておくだけでドライフラワーになりやすい筆頭かもしれませんです。
まったく関係のないお話ですが、
以前、百人一首のエロ訳で右近の、
「忘らるる身をば思わずちかひてし
人の命の惜しくもあるかな」
をUPしたことがございます。
右近の呪いの歌であることは一般訳もエロ訳も同じだったと記憶しております。
が、このたびananにて、この歌を取り上げて再考したところ、この歌には、もうひとつ男への追慕の情が隠されていることを発見いたしました。
上の句は、下の句を解く鍵となっていたのでございます。
どういうことかと申しますと、上の句の「忘」は「心が亡ぶ」でありまして、下の句の「心」は省力して読めという意であります。
また、同じ上の句の「身をば思わず」は「身は考えるな」というメッセージ。つまり下の句の「身命に関する、人の命は」も省略することというワケであります。
これを考慮しますと、下の句は、
「昔もあるかな」が残りますです。「惜」の忄は心でありますから省略すると「昔」の文字が残りますです。
「昔」の文字をバラすと、「廿+日」。二十日の文字が炙り出されます。
すると、全体の意味は、「二十日の夜に忍んできてください。もしも、その願いを無視した時は、あなたを呪い殺しますよ」となるのでございます。
元彼の藤原敦忠は38歳の若さで、右近の呪いのために急死したのは、この裏の意味を解読できなかったためだとしたら面白うございます。
ずいぶんなコジツケかもしれませぬ。
しかし、占い的には、このような解読は許されるのであります。
鑑定書などにも、このような要素を取り入れます。
私メの、こういう解読の趣味を知っているお女性がいたような気がいたします。
もしや、彼女から届いた過去のメールを分析すれば、そこに「しまった!」という発見があるやもしれませぬ。
が、そうは思っても確かめる億劫さに、実行することはないでしょう。
ドライフラワーが二度と、生花となりえないように。
時間は前にしか進めませぬ。
過去を懐かしんでも、過去に戻ることは決してできないのであります。
私メも枯れましてございます。