05.23
モリオカの自宅の草取りのあと、老母に、
「土淵に行ってけね」
と頼まれてドライブを。
土淵は、老母が65年前に新任の小学校の教員として勤めたところであります。
ものの15分もたたずに、そこに着いたのでありました。
ちょうど運動会の日でして、校庭にはあふれんばかりの小学生の声。
が、「ちがう」と老母。
「ぜんぜん違ってる」と65年前とは様変わりをしていることに愕然としていたのでございました。
さもありましょう。
変わって当然なのでございます。
諸葛川の支流が時のはざまを縫うように流れているばかりでございました。
地方都市というのは、うえを目指して変容をいたします。それは人の心の反映でございましょう。
京都などの古都であれば、史跡が残り、そこから記憶をたどることが出来ても、そうでない土地は新しさを求めるのでありました。
まぁんつ、ということで土淵小学校の周辺を二度ほど回り、「腹減ったね」と雫石へ。
雫石駅のなかにあるレストランが、しずかで良さそうだということで、また20分ほどハンドルを操りましてございます。
「変わらねのは家ばかりだえんが」
の老母のつぶやきに、いいやいやと心で首をふりました。
自宅だって大きく変わったのであります。
もっとじゃんごくさい雰囲気でありましたし、細かった庭木も老木となっておりますです。
不味くはないのでありますが、大量すぎるのでございます。
田舎の深情け定食とでも名付けたいハンバーグ丼。
いぜん、銚子での朝食に、てんこ盛りのメシを出された時、お給仕さんに「葬式定食ザンスか」と皮肉をいった、それ以上の深情け丼。しかも老母の和風深情けスパゲティの半分も寄越され、この世の地獄を味わったのでございます。
東京では「おいおい、これで二千円もするのか」と胸ぐらを掴みたくなるほどの少量も困りますが、大量すぎるのも迷惑であります。
残せば残飯として捨てられるだろうと思い、油汗をながしつつ胃袋に詰めましてございます。
「んでもなぁ……」
とふたたび老母は土淵小学校の話題。
「いえに当時のアルバムがあるから」
とつきあう私メも深情けなのでありました。