2015
05.11

見まわすと、季節はすっかり花々に囲まれているのでございました。
お年頃のお女性のように咲きほこり、かぐわしい花液をそよがせているのでございます。

去年の花たちはすべて死滅したのでありましょうか。
枯れた花などかんぜんに忘却し、私メは、いま咲きはじらう花たちにうつつを抜かしているのでございます。

ぢんっ!と電話がいちど鳴ります。

履歴はなし。非通知。

去年の花からであろうかと目玉を下へとおとし「誰からでアロー」と思索するふりをしつつ、意識は今年の花に止まったままでございます。

くらやみから熟した花の悦楽のひめいと花液のほとばしりの熟音が、記憶の隅に洩れてとどくのでありますけれど、それでも今年の花へと視線が戻るのでございました。

去年と同じような花。
ことしの太陽の光をはじきながら色づく花たちもまた、やがてはしぼみ、やがては枯れ果て、来年の花の影でしずかに涙を落すのでありましょうか。それとも図々しく枯れ蔓を地べたに広げるのでございましょうか。

薬師丸ひろ子も老いましたけれど小泉今日子ほど醜くないところでホッといたしております。

可憐な花だけに、その花がしぼみだすときの残酷さは酷いほどでございます。
水を浴びるとワックスで磨いたかのように水滴の一粒一粒が踊り散っていたのに、いつしかだらーっとよどむ肌になってしまうのでありましょう。

気持だ、若い精神だと騒いでも、ただ喧しいだけでオシベたちは眉をひそめるばかり。

憎むべきは、朝の老人、夜の若者。でございました。
それにくわえて昼のオババも仲間入りさせてくださいまし。

さてひとしきり去年の花の悪口を申しましたから、草とりでもして罪滅ぼしとさせていただきますです。