2016
06.16

断易初等科も、そろそろ入門課程を終えて、いよいよ初等科のメインである「断易講義草案」へと入っていかねばなりませぬ。

本日は、そのテキスト作り。

世間がどーなろうと知ったことか、なのであります。

手塚治虫が大キライ、別の作者の銀河鉄道999は虫唾が走るほどであります。
まぁ、それも関係ありませんけどね。

自分だけの世界に浸りつつ、占いのテキスト作りをしている至福の時。

しかし、このテキストを神田の教室まで運ぶのが大変であります。

そんなことを思いつつ、ペラペラとページをめくると、鷲尾先生から教わっていた頃のことが懐かしく頭をよぎりますです。
当日はテキストなどなく、黒板に書かれた文字を丸写し。内容も咀嚼しないまま、講義についていくだけで精一杯なのでありました。
いま、全体のどこを習っているのか、さっぱり見当もつかず、二度も三度も初等科をやり直したものであります。それでもやっぱりダメでありました。

テキストがあるということは、そういう意味からも大助かりであります。

でも、断易は「ああ、そうか!」という数回の悟りのような瞬間が大切でありまして、それまでは原則的な項目を繰り返すだけでございましょうか。
やがて断易の女神が、項目と項目の間にある階段を教えてくれますです。
「こんなことだったのか」と、裏側から基礎的な項目を見ることが出来て、そこでロジックに納得するのであります。

バカバカしい週刊誌、バカバカしいTV、それらに簡単に影響されるサル民族。おそらく「贅沢は敵だ!」などと口々に言い始めるのは明白であります。

オレの邪魔をするな。
逆らう者は容赦はせぬ。

このポーズでやり抜くしかなさそーであります。