2020
09.12

横浜の赤レンガ倉庫のあたりであります。

空は晴天。
夏が朽ちる前のそらに積乱雲が大きく展開しパラダイスの様相でございます。
「最高の天気ですね」
「素晴らしい青空ですね」

人生でいえば、
「大成功者」
「羨むべき運勢の持ち主」
と置き換えられるかもしれません。
一流の学校、就職先の一流企業で大出世をはたし、まさにこれぞ一族の鑑とも称賛され、周囲からも羨望のまなざしで仰がれるに違いない。その象徴ともいうべき大晴天なのであります。

そのような成功者としての道を歩んでこられたお方を鑑定することが、たまにあり、聞けば、
「たしかに満足はしております」
と前置きし、
「しかし、これで良かったのかと思う時もある」
かすかな本音から、本格時な鑑定に入るのであります。
すると、幸運としやわせとは異なるという結論に至ることとなるのでございます。

この日、私メは桜木町から、中華街の占いを視察し、元町をそぞろ歩き、この赤レンガまで回りました。が、ほとんどはタクシーを利用したのであります。ワンメーターとか、ツーメーターでしたが歩くことは無理でありました。
気温は34度。
快晴なのだから「歩け」と言われても、それは無理というモノ。陽だまりの市街は地獄であります。

快晴の陽だまりの市街は地獄でございますです。
画像では快適でも、六時間ほど汗の止まることはございませんでした。
青いシャツの背中は、塩でまだら模様に。

事務所で水風呂に身をひたし、骨まで冷まさねば、汗は止まりませんでした。

いくたびも、木陰にカフェをみつければ、こうして涼むのでした。
かすかな微風の心地よさは、ふたたび歩き出す時の苦痛を強めるだけの役目しかいたしません。

「十傳セミナーの手相は、すくなくても中華街の手相よりは良い」
などと手前味噌にうなずくのは、こうしてクーラーの効いた部屋でブログUPしているいまだから言えることで、その場では、
「助けてくれい!」

口笛を吹けば風が生まれるという子供のころの迷信にたより、口笛を吹こうとしても、マスクが邪魔。
そのマスクはフェイスタオルとなって汗まみれ。
顔面は牛に舐められたよーにグッショリなのでありました。

我慢ならず、モヒートを。
幸運と言われているお方が、お女性に走る瞬間が、
「コレなのだな」
と実感。

おフランス料理でも高級中華料理でもない。
いっぱいのビールであり、揚げたてのトンカツを求める気持ちは、成功者と言われ、権力と財力が保証されたお方の、ひとつの贅沢。切実な本音とも言えるのでございます。

東京に戻ると雨。

「ああ、横浜は雨でなくてよかった」
成功者で良かった。雨という不幸よりも、汗で衣服が濡れたほうがマシであった…この連想もまた、成功者と言われるお方の本音でございましょう。

 

2020
09.10

先月あたりから鑑定が増えてまいりまして、それが9月になって倍増しているのであります。
「なにかあるか…」
鑑定が増えると、いままではテロとか大事故とか津波などが発生しておりました。
敏感なお客様が、無意識に未来のパニックを察知しているのかと思います。

が、今回は、長引く疫病に、
「もう我慢ならぬ」
と活動的になったと解釈したいところでございます。

今日もヘトヘトとなって自宅にたどり着いたのでありました。
鑑定というモノは、手抜きをすれば、どこまでも手抜きが出来ます。
はんたいにお客様の運命のなかに入り込み、運命の呼吸のようなものをチェックしようとすれば、どこまでも疲れ果てるのであります。

鏡で顔を覗き込みましたら、『死者』となっておりました。

で、そこに封書が届いておりまして、開きましたら、
「塩」

反射的に、
「天婦羅だ!」
叫んだかもしれませぬ。汗でぬれた下着を洗濯機に放り込み、そしたら、おパンツのゴムが緩んでおりまして、左側の端から金玉がダラリと垂れ下がっておりましたです。

そんなことはどーでもよく、マイタケがございましたから、てんぷら粉に水を入れて、さっさく料理開始。

ちょっと失敗しましたが、天ぷら完成。
所要時間10分。

酒も受け付けませんでしたので、水を飲み飲み、ムヒムヒと喰いました。

おお、体内に油が行き渡ったことを実感いたしました。

鑑定料は、原則として会員様は三万円であります。非会員のお方は五万円。所要時間は一時間程度。場所は神楽坂の事務所。
しかし、電話やリモート鑑定は、対面鑑定をしたお方に限ることにいたしますです。

恋愛運だの仕事運だのではなく、すべてについてチェックしないと恋も仕事も見えてきませぬ。つまり総合判断ということになりますです。それを開運というか、不幸な現状からいかにして脱出し、人生を立て直すかを主眼としておりますです。
…そうはならない場合もありますけれど。

上記は個人の鑑定でして、命名とか家相は要相談ということであります。

けれど、鑑定も講義も、スタートする前の30分ほど前は、えらく緊張し、緊張のあまり眠くなるのであります。
「生気を抜かれた…」
完全なる油切れになるのであります。

いまだに慣れませぬ。

でも、まずは酒が飲めるので体力気力が持ち直しました。タバコも吸いましたです。

2020
09.08

大きな秋鮭が届いたのであります。
「今年も秋か…」
暑さは続いておるものの、猛暑の中に翳りを感じますです。
夕方は日没も早くなりましたし。

早速、鮭の解体、三枚おろしをすることにいたしました。

釣りに凝った一時期がございました。
あんなに熱中していたのに、あっさりと熱が引いたのは、どこかの本に書かれていた「魚との勝負」
を目にしたからでありました。

勝負などあるわけがない。魚を殺しているにすぎない。

最後の友人で故人であるサイにそのことを言うと、
「魚は人間に食われるためにあるのだ」
そういう意味のことを言い、私メに、「占いをすると坊さん臭くなるのか」と軽蔑のまなざしを向けたのでありました。

たしかにいちいち命の事を考えていると、肉も刺身も食えなくなりますです。

「おおっ、イイ鮭だ」
頭部と尾ひれを切り離し、包丁をサクッと差し込んで、身をはがしていきます。
するともう、命のことは頭から払われ、こんどは、お女性の肌の触れるかのように繊細に、大胆に、包丁の刃で引き裂いていくのでございました。

最後に頭蓋を真っ二つに割りまして、粗塩を振りかけるのでございました。

あとは炙って、新潟のお酒といっしょに、いただくのみ。

そして、今年を振り返るのであります。
疫病が横浜に横付けされた客船に蔓延したのは、あれは3月だったか、2月だったか、もう思い出せないのであります。
4月ともなると東京から外国人の姿が変え、東京駅は信じられないほどの殺風景。

1か月間の休眠に入ったのは、その頃でした。
十傳スクールも本格的なリモート講義に切り替えざるを得なくなったのでございます。

長い雨の期間を経て、梅雨明けと同時に気温は上昇し、祭りのない静かな真夏が始まったのでございます。

しかし、この半年の記憶が薄いのはどーいうわけでありましょーか。

モリオカに毎月マイペースで戻っておりまして、でも、それは去年以前も同じでしたから、記憶のあいまいさの原因にはなりませんです。

「…お女性かも」
疫病の影響で、蜜になる機会が…。

コレなのかもしれません。

ボヤボヤしていると、本当の役に立たぬジジイになるなぁ、と思いつつも、このよーな時代も悪くない、そうして気づいたら、盆栽の大切な一枝を剪定ばさみで切り落としていることになったとしても。