2021
09.24

「何もしてはいけません」
の鑑定ほど苦しいものはございません。

方位をとるべきでもなく、行動するべきでもない。
「ただ待つだけ」という鑑定結果ほど、お客様にとっても未消化になることでしょー。

それでも「動いてはいけない」なのが正解ですから、私メとしては、相談者の心の叫びを、時間を延長して聞くほかないのでございます。

たとえば、彼との復縁を望むとき、相談者はどうしても何かしらのアクションしたくなるのであります。
「だって別の女に取られるじゃありませんか」
取られてもイイのであります。
奪い戻せることになるのですから。

しかし、相手の男に会いに行ったら、そこでおしまい。そー言うケースでございます。
それは男がお女性を求める場合でも同じ。

何もしない。
熟した柿の実が手のひらに落ちるのを待つだけ。
下手に摘み取ろうとすれば、柿の実が傷ついてしまい台無しになるのでございます。

高速道路でクルマが固まり過ぎたら、散らばるまで速度を落とすことも大事。それとも似ております。

よっぽど
「何月何日にあっちの方位に行け、そして何月何日になったらこっちの方位だ。泊雲の作法を用いよ」
という行動させる鑑定の方が、どれだけ楽なことでございましょう。

人には嫉妬心があり。欲心もございます。
嫉妬心は、裏返せば、「自分だったら浮気するだろう」という自分の心のメニューのある証拠にほかありません。
動かずにいろ、というのは、その嫉妬心が心の中で、音を立てて燃え盛ることに通じるのであります。

「男から連絡があるまで待て」
は、
「男から連絡がなかったら?」
の反問を呼び起こさせ、鑑定は悶々とうちつづくのでございます。

私メというゴミ箱は、そして満杯状態になるというわけであります。

2021
09.23

私メが、占いでお金を得るキッカケとなったのが、この一冊でございます。
まったくの偶然の積み重ねでありました。

断易の鷲尾先生に通っていた頃、声をかけてくれた、お女性占い師によって銀座ジプシーとの縁ができ、そこでTVなど深夜番組に出るよーになり、局で知り合った、仮面占い師が、その知り合いのライターさんに、
「紹介していい? 十傳さんのこと」
ライターさんが手掛けていた占い師本の一ページに、カラスのはく製を肩に乗せ黒いマント姿で載ったのでございます。

その本は、リレー形式でして、今度は私メが知り合いの占い師を紹介するというやり方で、108人の占い師の紹介などで構成されていたのでございます。
ギャラなどありません。

本来ならば、鷲尾先生の教室で声をかけてくれた、お女性占い師を紹介すべきでしたが、そうは致しませんでした。
おそらく、それがジプシー事務所を追放される一つの原因なのだと思い当たります。

それまで個人鑑定を細々とやり、土曜日と日曜日には厚木パルコでの鑑定。
が、占いの収入は、月、10万円を超えることは滅多にございませんでした。

酷い日には、鑑定コーナーに一人もお客様が来ないことがあり、月の収入が三万円以下に落ち込んだことも。
これが数年間も続くのでございました。

さらにジプシーから追放されてからの三か月は絶望などと気取っていられないほどの収入減なのでありました。通帳の残額は五万円以下。
いつかはトンネルから抜けられるという希望などなく、突き当りのある暗い穴を手探りで奥へ奥へと進んでいる心理状態。

現在、たまに占い師の方が鑑定にお見えになることがございます。
「占いで食っていけるでしょーか?」
全員が、このご質問であります。

月、二万円から三万円の収入で、どこまで我慢できるか。
運気とは別にそこがポイントであります。
もちろん現職を辞めてはいけない、であります。
「運気は良い!」
と断じたところで、まだその運気が現実のモノになっていないのですから、占われている占い師さんも半信半疑。ただ勇気を得ただけにすぎませんでしょー。

しかし、低収入で我慢していれば、不思議なことが起こるものであります。

私メの場合、画像の本に掲載されたのがきっかけで、フラウという雑誌から、
「ノーギャラだけど、はみだしで30文字、載せられますが…」
はみだしとは、本文の下の余白をいいます。

そこで、「三千円で男の本心を占います。小野十傳。電話番号は〇〇〇」

そうしたところ、毎夜、電話がかかりっぱなしになりまして、収束した四か月間に80万円ほどの収入になりましたです。

長くなりましたが、平均10万円の収入が、占い師として生活できるひとつの目安になりますです。

2021
09.22

どことなく茅ヶ崎も秋めいてまいりましたです。
こころもち樹木の葉が色づいているのでした。

自粛に協力しているのではまったくないのですが、貯めていた外出する用事を一気に片付けようとしたら、丸一日、クルマでの移動になってしまったのであります。
自宅の茅ヶ崎周辺でしたが、あまり通ったことにない通りを運転しておりました。

軽い方向音痴に陥りまして、それは悪い気分ではございません。
知らない町を旅行している気分なのでした。

「釧路に、いぜんは今頃、旅行していたなぁ」
数年前の秋、北海道を、夕焼けが名物だという釧路へと南下していた時を思い出しましたです。
1300ccのマツダのレンタカーは、なかなか軽快で、燃費も驚くほど良く、給油所のすくない大地において不安はほとんどございませんでした。

ただひとつ残念なのは、音楽が聴けないこと。
民放のラジオでは、私メとしては、やや面白くないのでございます。

釧路は、日没が早く、まだ三時だというのに、関東の五時頃のあたり。時差の凄さを知らされましたです。

そんな思い出に浸りつつ、用事をひとつひとつ消化していったのでございます。

右折しようと、ふと前の車のナンバープレートに目がいきました。

「946〇」

くしろ、ではありませんか。

さきほど耽っていた思い出の「釧路」。

幼稚なシンクロニシティにウキウキしてまいりました。

そーいえば、最後の友人のサイの墓を見つけにお寺に向かっていた時も、前の車のナンバープレートが「3110」。「サイトー」なのでありました。
つづけざまに「8895」のプレート。「早く来い」。
ははやく墓に来いという意味なのか、あの世に来いという暗示なのか。

老母が助手席で、私メの数字解読に
「やんたごど!」
とおののいていたのでした。

この世には、面白いことがころがっておるものでございます。