2021
09.05

四柱推命において、「秋の甲木は死木でも許される」とあります。
生木に対する死木であります。

木は養分を吸い取り、すくすくと育ち、健康な大木となることを良といたします。
対して死木は、切り倒され、建材として役に立つことを指すのであります。

秋は金気が強まる季節でございますから、枯れだした木は簡単に切られ、そして山から運ばれ、川で運ばれるのでございます。
そして東京木場のような貯水池に一定期間、水につけられ、それから乾燥させられ、家などの建材として役に立つのでございます。
これは秋月生まれの甲木だけに許される処理方法であり、同じ木行でも乙木には当てはまりませんです。

いずれにせよ、弱い人でも、使いようによっては人の役に立つこともあるというのであります。

画像は、湘南海岸から拾ってきた流木でございますが、じつは、モリオカで植え替えに失敗して、枯れさせてしまった南天木があるのでありました。
以前、梅の古木の洞に、鳥が運んできた南天の赤い実が、芽を出してところを植え替え、可愛がっていた木でございました。
この度の家の建て替えの際に、再度、植え替えましたが、失敗したのでございます。

先日、関東に戻る前日に、枯れ木になった南天木を抜き取り、水でキレイに洗い、いま納屋で乾燥させておりますです。

やがては、部屋のオブジェにしようと計画しているのですが、
「死木の使い方は、何も建材と限ったことではない」
ふと思った次第であります。

生命力のない弱々しいお女性でも、美しければ、そこに置いて、ただ鑑賞すればイイのではないか…などと不謹慎な連想までしているのでございます。

十傳スクールの、四柱推命卒論科などで講義をしながら、
「これは最悪の命」
とボードに書き込みつつ、
「最悪な命だとしても、どこかに救いがあるはずだ」
その救いを見つけられないよーでは、鑑定する甲斐がないのではないかとも思ってしまうのでありました。

新しく、枯れ木アートの趣味に熱中してしまわないよーにと、それが心配ではありますです。
すぐに凝ってしまうところが私メのナンテンなのであります。