09.29
まっすぐに進めば何の問題もないのに、見知らぬ曲がり角にたつと、問題のない安全な道がつまらないものに見えてしまうのであります。
曲がり角をまがってトントン拍子に進むこともありますが、それはごく稀でして、
「どーしてあの時…」
衝動に負けた自分を悔やんでしまうのがホトンドでございます。
けれど、曲がり角をまがって抜け出た道が、いつも見知っている道だというのに、夢から覚めたよーに、方向感覚を失い、奇妙なラビリンスに陥ることも多いのでございます。
運命の悪戯を曲がり角にかけて申しているのですが、モリオカに暮らしていた頃、日常的に歩いていた道をたどりました。
不思議なくらい変わっていないことに驚き、
「では、あの角を曲がれば…」
しかし、なだらかな丘陵のむこうは当時とおなじリンゴ畑。その奥にモリオカの市街が模型細工のよーに広がっているのでありました。
上空には東北でなければ出来ない雲が。
そっくりそのままなのでございます。
これもまた時のラビリンス。
まだ17歳ではないかと錯覚してしまうのでございます。
目をつむって歩いてみました。
「そろそろ、あの小屋のある地点だろう」
すると左手に栗の木があり、潰れかけた廃屋がまだ残っており、ちょうど、その廃屋を通り過ぎるところなのでした。
「いままでの歳月はなんだったのであろー」
反射的に浮かぶのは、お女性たちの顔、顔、顔。
なぜか顔の下の記憶は薄く、そのお顔も、思い出そうとすると泡のよーに消えかかるのでございます。
そして、ケタケタ笑う、笑い声だけが、虚ろな記憶から肉声として脳の奥に響くのでありました。
「きっと」
と思いましたです。
「死の直前は、コレと同じ現象があるのかもしれない。いや、そーあって欲しい」
まっすぐな道でも、曲がりが戸を曲がってしまったとしても、たどり着くところはソコなのでありましょう。