2022
06.21

24節季のひとつ夏至である本日、カメ子は産卵いたしました。
今年二回目であります。

じつに暦通りというか、星々の動きに合わせての産卵とは恐れ入りましたです。
数日前から、食欲が止まっていましたから、
「そろそろだな」
まさか夏至ではあるまいなと期待していたのですが、ドンぴしゃり。

昔の人たちも、天体の動きに合わせて、よくぞ正確に暦を作ったものだと、このスゴサに脱帽であります。

現在では多くは、日盤が陰遁に変わるのは、夏至にもっとも近い甲子日とされています。2022年の今年は、7月10日から陰遁スタートであります。
が、流派によっては、夏至の日をもって陰遁開始日とするところもあるのであります。
すると、
「どちらが正しいのか?」
となるのでありますが、論じるだけ無駄。
口から泡を飛ばして激論の末、
「バカヤロ―!!」
しまいには泣き出すことになるのであります。

私メは「夏至にもっとも近い甲子の日から陰遁開始」の論を採用していますが、片目で夏至から陰遁開始論を眺めますです。
これは磁北を取るか、偏角をとるか、なども同様。

左右の手に、それぞれ毒薬と栄養ドリンクをもち、「右が毒薬だ」という人がいれば、「いや左だ」と主張する人がいた時、どーするか。
これにどー対処するかが理論家と実践家の違いでありましょう。

呪術などでも、期間の算定は重要なところであります。
流派に縛られることなく、頭を柔軟につかうことが大切なのでございます。
呪術返しの期間を夏至として、その夏至の前に効果が出たといたします。
となると、夏至から陰遁を主張する流派と、夏至に最も近い…とする流派のどちらかが正しかったかは謎のまま。
が、効果が出ればイイのだとするのが実践家でありましょーか。

私メは実践家でございましょー。
講義でも理論の合間に、実践をとりこんでおりますから、出版物と内容が食い違ることが多々あるのでございます。

本日のジムは気持ちが良い汗をながしましてございます。

ともあれ、産卵をし終えたカメ子は、おだやかな表情でくつろいでおるのでありました。

2022
06.20

ふと、その気になり、いぜん住んでいた辻堂周辺を散策したのでした。
まるで知らない町に変わっておりました。
知っているはずの場所なのに、記憶を失ったよーに、様変わり。

別れたお女性と、10年後に再会した如しであります。
事実、足が遠のいてから七年ぐらいは経過しているはずです。

裏通りの路傍に、日清日露戦争で没したお方の墓が点在していたのに、それらはキレイに整理され、また涼やかな松林だった場所には住宅が立ち並んでいるのであります。

調布から、1990年代初頭に越してきた時は、寂しいぐらいの田舎町だったのです。
ひなびた駅の手すりは錆びていて、商店街には八百屋とか魚屋、古本屋がひしゃげて並んでおりまして、
「引っ越しして失敗したかな?」
心細くなった記憶がございます。
そして、ふらふらと散歩していると、地元の兄ちゃんに、「おい待て」と呼び止められ、
「流れ者だな」
問い詰められたこともございます。田舎特有の地元意識が旺盛な町だったのであります。

かろうじて、わずかに、当時からの古い店が曲がり角などに残っておりましたから、迷うことなく、町の変転を楽しむことは出来ましたが、想い出にひたることは無理なのでした。

が、この辻堂という町に、たいへんな恩を感じております。
私メにとって開運を体験させてもらった町ですから。

不動産屋の言葉を思い出します。
「オノさん、楽しみですよ」
何ですかと首を傾げましたら、
「この物件に住んだ人は、不思議とイイことが続いて、やがて近所の一戸建ちに越していかれるんですわ」
家にも、そーいう何かがあるようですよ、この商売をしていると面白い偶然の一致がありまして…。
この言葉は、ツキ運から見放されていた当時の私メには、麻薬でございました。

その反対もあるかも…とは考えませんでした。もう、それらは体験済みだったわけで。

そして、奇門遁甲の方位をきっちり守り、三か月も前家賃を払い、
「この日だ!」
に越してきたのでしたから。

また来ますから。
開運の町を後にしたのでございます。

2022
06.19

コレは何でありましょーか。

私メが、まだ人種差別ではなかった頃、朝鮮人に教えられた食い物であります。
岩手県の北、八幡平に入植していた多くの北朝鮮人が、その入植後、モリオカの本町裏に住み着き、友人を介して知り合った家族の夕飯で知りえた料理なのであります。

「あまり近づかない方がイイ」
と亡父が首を傾げるのを、
「国は違っても同じ人間ではないか」
まだまだ青い少年だった私メの反論であります。
「みんなからイジメられているなら、僕が守るんだ」
やがて亡父の忠告が、身に染みて理解できる体験をするのですが、それは数年後であり、それはそれとして、長屋で生活している極貧の北朝鮮人家族の夕飯は衝撃的でありました。

異臭の料理。
鶏肉にニンニク味噌をすり込んで焼くという素朴な料理でございます。
食いながら、友人を介して知り合いになった男の頭を、そのオヤジがボカボカと殴ったりするのも衝撃的でありました。
そして、目の前で息子を殴っておきながら、私メには、妙に愛想よく、黄色い眼で作り笑いをして、鶏肉を「食え食え」とばかりに盛ってくれるのでありました。
隣にいた弟は、すばしこくオヤジの拳骨をすばやくすり抜けるのでした。

しかし、当時の私メはニンニクなるものを知らず、ただただ
「臭い」
しかし「美味い!」のでありました。

さて、本日の茅ヶ崎はムシッと暑く「奇門遁甲カレンダー2022下半期」の注文が来たのでポストに投函。その足で、スーパーに立ち寄り、白モツを購入したのでありました。
こんな日は、コレだ。
つまりはコテっちゃん風。

味噌に酒と砂糖とすりおろしのニンニクを投入し、白モツを入れ、30分待ち、それを魚焼きで焦げ目がつくまで焼くのでありました。
それからフライパンで汁気を飛ばして完成。

中華料理や韓国料理を絶対に食わないと決めている人種差別の私メで、その人種差別に気高き誇りを持っているのではありますが、本日だけは、昔の北朝鮮人に教えられたゲテモノを堪能するのでありました。
ご飯は三杯くらいはペロリであります。
コテっちゃんなど目じゃありません。

北田くん、お元気でしょうか。
おとなりの北館さんお元気でしょうか。