2023
02.28
02.28
モリオカの繁華街は40年ほど以前に、城跡の東から、西へと移ったのでございます。
その引き金となったのが、デパートの移転。
それまでは肴町とよぶ、老舗が並ぶ、この通りでありました。
が、繁華街をささえるデパートがなくなってからは、さびれる一方。
苦し紛れにアーケードを設置しましたけれど、
「うす暗くなった」
「汚い感じ」
さらに衰退に拍車がかかったのでございます。
デパートは、建物はそのままに、いくつかの店舗がはいりましたが、衰退を止めることはできませんでした。
ついにウクライナ状態となり、建物の取り壊しと相成ったのでした。
学生の頃は、この一帯は恋のスポットでございました。
光フェアビルとか松屋もありまして、恋を求めるジャンゴたちが集まって、花と音楽に包まれておりました。
「建国安邦金鏡」という町作りの家相の原書に照らし合わせますと、
「これではダメだ…」
してはならない町作りの手本のように、方位も時期もすべてボタンを掛け違った方法を選んでおります。
無駄な努力をしているのであります。
町はまとまりを失い、郊外の東京資本の大型店舗へと人が流出するよーに、いつくかのバイパスがつくられ、モリオカから魂が抜けだしているのでございます。
陰謀と断定したくなるほどであります。
私メと同じような年代の方々は、ただあっけにとられるばかり。
「宮沢賢治たちが利用した井戸水の跡」とか、オショシイこじつけの場所が忽然と出来たりしておりますです。
しかし、街も生き物であります。時代によって形を変えるのであります。
住人たちの思考の形と、街の形は、酷似しております。
これではダメだ…の町作りも宿命的なものかもしれません。
もうすこし、町作りの家相を研究したいと思っているのでございますです。