2011
10.25
10.25
仕事のつかれに、縁側で寝そべっていますと、秋の空がひろがっていたのであります。
いつもなら、うたた寝するところですが、今日は10月25日だなぁ、なんて雲のうごきを眺めておりました。
大切ななにかを忘れておりました。
それが、ふと思い出されたのであります。
ああ、ゴウ命日なんだっけ。
二年前の今日、五歳のヨークシャーテリアのゴウが白血病で死んだのであります。
私は、そのとき図書館にいたのでありました。
ゴウは立つことも出来ないほど体力を失い、椅子に横たわっていましたが、借りた本を返すために図書館にいったのです。
モノ音がして、振り返ったら、図書館のロビーで老女が大の字で倒れていました。
「はっ!」とスピリッチャルがはたらきまして、老女の周囲にあつまるやじ馬をおしわけて、自転車をはしらせ自宅にもどったのでございました。
ゴウは、もう、すっかりいけなくなっておりました。
最後の息を大きく吐き出しました。
汗腺がないはずなのに全身が濡れました。
愛犬を失ってからタイプは二つに分かれるようであります。
にどとイヌを飼わないタイプと、新たにイヌを飼い始めるタイプと。
私メは後者であります。
三日目には、ペットショップでロメオを発見したのであります。
失恋した人も、やはりタイプがふたつに分かれるのかどうかは知りません。
しかし男と女の出会いと、ペットとはちょっと違うような気がいたしますです。
かくまで命日の秋の空はあおく輝いているのでありました。
私が最後に飼った犬は、ポメラニアンのチャコでした。
20歳の時に6ヶ月のチャコを友人から譲り受け、結婚するまでは私と就寝を共にし、23歳の年に嫁ぎ、36歳の時に実家でチャコの死を私の子供たちと一緒に見送りました。悲しかったですね~。私の青春から婚姻生活の全てを受止めてくれたチャコでしたから・・・。子供たちの大好きなチャコでしたし・・・。
それからというもの、犬は飼っておりませんので、私メは前者ですね。
今は、ペットが飼えない家に住んでいるので、時々、近所のペット屋さんの子犬たちに癒してもらっております。(今日は、ロメオ君の子犬に癒してもらいました)
男と女の出会いは、ペットとはかなり違いますですよ。
どこがどう違うのか、ここで表現するのは、実に難しいのですが・・・
単純に・・・ペットは“飼う”人は“飼う”ものではないですものね。
●十傳より→魚釣りを人間と魚の対決なんていってますけど、ぜったいに攻撃側の人間の方が有利であります。野球のバッターとピッチャーの対決?なんてのもそうでありますね。そして人とイヌの関係も一方的な間柄であります。男女の関係が、もしも人とイヌのようになったらヤバイって証拠でございましょうね。
「男女の関係が、もしも人と犬のようになったらヤバイって証拠」
この一文で私は昔の女郎屋?映画『吉原炎上』のワンシーンを思い浮かべたのであります。
ペット屋の犬達が大切にケースに入れられ、飼い主になられるご主人様に選んでもらわなければ、生きてはいけない・・・
吉原の遊女達も、ケース越しに「そこの旦那様~あたいを買って~」彼女等も、生きる為に自分の肉体を売る・・・
どうしてもダブルのであります。
結局『吉原炎上』では、必死すぎて病を患い、自ら命を絶ってしまう運命に遭ってしまうという悲しい現実もあり・・・(これは犬にはない現実かもですが)
西川峰子演じる遊女の姿が私の脳裏には強烈に残っているのです。
“出逢い”って、犬も人も命ある生き物の運命で惹き合うものなんですね・・・きっと・・・
ん?それって、先生の仰る通りマジヤバイ!!!
依存する生き方は、ヤバイって事でしょ?
●十傳より→「自利利他」って言葉が仏教にありまして、人はどーしても依存しあって生きていくんだそうであります。では、そうならば、依存しあうことをあえて意識することで、相手に自分を生かしてもらい、その相手にとっての幸せを自分が奉仕することで、共存して暮らすのはどうかという意味なようであります。自分を活かすことが相手を活かすことだということでございましょう。その映画でえがかれている遊女は悲しいたとえでありますが、少なからず、人はそうやって生きて、そして死んでいくものかも知れませんですね。そういう覚悟をつければ、もう迷いは半減するのではないかともおもえますです。
愛とは決して後悔しない事、なぁんて古い言葉を思い出してみました。
本命の人と会えない寂しさを私で紛らしていたなんていう相手を今でも憎んでいない私。
後になって実態を知って、それでもその人と知り合えた事の喜びはかけがえがなかった私の心。
別れたけど好きな人…
お犬様のお話とはかけ離れたかのようですが、きっと三日目に遭遇したロメオさんは亡くなったゴウさんのように愛せる存在なのだとスピリチュアルが働いたのでしょうかね。
愛(=無償)に理屈はないんだなと、そんな事を想ってみました。
●十傳より→「愛と誠」でございましたね。辺見マリの「経験」も、やめて~愛してないないなら、やめて~くちづけするのは~ってな具合でありました。
<先生っ 私はオカ・スピ、アリだと思います!!> って
つば飛ばしながら むきになって言ってくる方、いらしゃいませんね
先生が拒否なさってますもの あたぼうでしょうか・爆
私の周りの誰もが読んでた<ザ・シークレット>あれ、流行りました~
女子に大人気のTV・映画 SATCにも登場します
ミーハーの私ですが まぢ読んでませんです だいたいわかりますよ
日々祈って 思い込んでいけば望みが手に入るということでしょう~
思い描く方向に 自分を持っていき ポジティブに進んでいけば
いつかはたどりつける ということでしょう~ で オチは必ず
<叶わないのは、諦めるからだ>って言うんでしょう~
「ありゃーん」 でありまっす!
私は お化粧品は美しい人(造形、肌質感、雰囲気)から買います
どんなにたとえ 引き寄せの法則を読んで 実践されてても
私が美しいと思えない人からは 買いませんわ。。
過去、先生がおっしゃってたサイゼリア 昨日初めて行ってきました
娘が高校時代にたむろってたし 覗くと学生ばかりで入った事なかったの
ワイン100円にエスカルゴ399円、青豆サラダ189円 きゃだ~
美味しーっ 通っちゃう~!! ミルクアイスのシナモンフォカッチャ
も〆に頂いて 安くて大満足でありました。。客層は大人ばかりでした!
●十傳より→サイゼリアは土日には行かないようにしておりますです。そして食ったらお喋りせずに店を出なければなりません。満席では入りたがっている中高生に申し訳ありませんから。
\_(^◇^)_/ はい。了解です!
さっさと食べて さっさと立つ・・・江戸前食処の様です。。
先ほど、レシート見て思い出し 一人にっぱりし、
娘に報告しましたら 全部食べても4万ちょっと
・・だなんて返信が来ました~爆
なか卯の ハイカラうどんとミニ親子丼 食べてみてみ!
とありましたので明日にでも。。
松屋、すき家の ぶた丼?にも挑戦してみます
忙しくなりそうです!
(吉牛は 自分が学生時代に食べてました~) ゛
●十傳より→なか卯の親子丼だけはなかなかであります。それ以外は全滅でありますけど。すき家にブタ丼ありましたか?
中学の入学祝に買ってもらったチワワが、28歳のとき死んじゃって、
同時にあたしも、娘時代にお別れをするときがきたのかな…ってぼんやり思ったものです。
ちょうど出産を控えていましたから…。
「虹の橋」のお話を聞いたことありますか?
あの世へ行く前にその場所はあって、ペットが待っていてくれる…ってお話です。
あたしはスピリチュアルを信じているわけではありません。
でも、否定もしません。
それがあるのか、まだ死んだことないから分からないし、
絶対ナイと否定するほどの知識もないんです。
まだまだあたしには、知らないことがいっぱいあると思っています。
でも、ゾクッとしたり、いや~な予感だったり直感だったり、
「虫の知らせ」みたいのを感じたことをスピリチュアル信者の友達に話すと、
「ほ~らね!」みたいに言われるのは、ちょっとイヤな気分です…。
虹の橋のお話は、あるなしは置いておいて、
聞いたときは、少しだけ悲しみが和らいだ気がしました。
●十傳より→悲しむ時間は2時間と決めております。あとは未来。スピは邪魔。とにかく2時間めそめそしたら十分なのてあります。自己愛に傾くだけであります。岩手山を駈け足で降りたごとく、終わったものにつかう神経はないのであります…と割り切るように自分をマニュアルしておりますです。
ショックなことや悲しいことに直面すると、一瞬、地面に吸い込まれそうになるんですけど、その後はなぜか機械みたいに冷静にテキパキ動いてしまうんです。
母の葬儀のときもそうで、あたし、一滴も涙が出なかったんですよ…。
で、忘れた頃に、何かの拍子に急にドバドバ~って涙が出るんです。
ぜんぜん関係ないときに。
爆笑したら、笑ってたはずなのについでに大泣き…というように、感情が湧き起こるのがズレてるっていうか…。
怒りの感情も、その時はかわしたのに、
しばらく経ってから、トイレとかお風呂っていう空間で、突然ムカーッときてみたり。
たまに、あたしっておかしいんじゃないかと不安になります…。
●十傳より→不安になってイイと思いますです。
今日は、うろこ雲がキレイ・・・。
思わず、油絵でも書きたい気分でした。
「あ〜、秋だなぁ」なんて、
口を開けて、ぼんやり眺めておりました。
●十傳より→天高く…というじつに良い空でありましたね。