2025
09.27

多くの人は自分のことを「不幸」だと思っているよーであります。
人にはそれぞれ悩みがあり、その悩みに軽重はございません。
貧乏人の悩みと金持ちの悩みも、悩みとしてはみな同程度。

金持ちで美人なのに「わたしは誰よりも不幸」と思っていたりいたしますし、「学歴がなくて不幸」とひがんでいるお方もございます。

で、幸せになりたいと苦しんでいるのであります。

しかし、運命学の視点では、それらの方々の悩みは、希望が達成されないだけで「不幸」とはいたしません。
いい歳をして親から離れられず、そこが不幸だと訴えられても、「それはそれで幸せではないか」と判断されます。
能力がなく職場を転々としていたとしても、だから不幸とは考えません。

不幸という錯覚は他者との比較によって発生するものがホトンドで、意識を変えれば、別に不幸でも幸せでもない位置づけだったりいたします。

病魔におかされ、あるいは戦地で食糧難に苦しんだり、あるいは戦争で不具になるなど、自分の意識を変えても、なお運命的な苦しみの生活であることを、はじめて不幸というのであります。

占いの鑑定で、このままではいけないから、生き方をお金目的から離れた方が良い、すこしは人のために骨身を削った方が良い、金、金と多少の時給の良さに転職することをいい加減にした方が良いと言っても、ぐすぐずと何もせず、ただただ神仏などあてにならないものに祈ったりしても何にもなりませんし、それはわがままであっても不幸とは言えないのであります。救いがたい強欲者と変わりはございません。

さらに都合の良い答えを言ってくれる易者を求めて巡礼してはお金をダマされる繰り返し。気休めが欲しいのであります。しかし、自分が蒔いた種ですから不幸ではなくおバカなのであります。

そして着地点は「自分がイヤになりました」でございます。

もしかすると不幸とは、幸運も不運もない、どんよりとした世界の住人達なのでは…と。いわば無幸とか呼ぶのかもと。

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