11.16
このようなメールが十傳クラブの会員の方からいただきました。
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小野先生 こんばんは。
いつも興味深いブログを拝読させて頂きありがとうございます。
美貌を工夫すれば、運命は変わる。
だとすると、美容外科で、整形手術を受ければ、より良い運になりますか?
しわ、たるみ、しみを。
ご教示お待ち申し上げます。
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いつだったか、電車での会話を思い出しますです。
息子の嫁がプスらしく、60歳くらいの姑と、その知り合いのオバさんの会話でございす。
ひとしきり嫁の美貌のなさをこぼしていましたら、オバさんは、
「顔でねよ、心だ、心。歳とれば美しさは消えるおの。んでも心の美しさは、そでねおん。表面上の美しさなんてむなしもんだすて」
オバさんの話に姑さんは押し黙ってしまいました。
きっと「あんや、私は可愛いと思うよ、あんたとこのお嫁さんを」とフォローしてくれると、少しは期待していたのでしょう。ところが「顔でねよ」と、まるで「はい、まさしくプスですね」と答えたのとひとしい対応をされ、いささか感情を害したようでありました。
さて、画像の娘が、整形によって運勢が激変したのであります。
シワやたるみを取るというよりも、美容整形はもっと積極的な効果があるのだと思いますです。
もっとも整形をしたために、運を落としたというケースもないこいもありません。
整形に失敗するというリスクも考慮しなければなりません。
けれど、自分から解放されるという点で、美容整形は運勢を好転させる方法の一つなのでございます。
心、心、と、心の美しさを第一にするのは分からなくもありません。
いや、心が美しいのは、幸運を迎える条件でありましょう。
しかし、心の美しさ、性格の良さだけではダメというか、どういうのが美しい心なのか、性格の良さとはどういうものかは、基準がございませんです。
画像の娘は、やがて、このように脱皮したということでございます。
美容整形と徹底した筋トレによって、新しい自分をつくりだしたのでございます。
が、新しい自分とは過去との決別であります。
現在の恋愛がダメになる覚悟が必要かと思うのであります。
美しくなることは、相手にとっても喜ばしいことかといえばイエスではごさいません。
いま現在の状態に相手が恋しているからであります。
プスだと思う自分に相手は恋しているのでありますから、美容整形によって変わってしまうと、相手にとっては恋する主体を失うことと同じなのであります。
よって、恋が崩壊いたしますです。
恋だけでなく、仕事も友人も失うこともございます。
趣味も趣向も変わる場合もあるのであります。
その覚悟と、どこまでも積極的に自分動かしていく意志力が、美容整形後に求められるのであります。
整形した自分は、自分であって自分ではないのであります。
羞恥心が希薄になって、どこでもおヌードになれる自分に驚くかもしれませんですね。
いいかえれば自分に自信がつくとでもいうのでしょうか。
私メの主観では、整形美人は好みでございますです。
「私メの主観でも、整形美人は好みでございますです」
盆栽の感覚でありましょうか・・・。
こんな事、言ったら怒られるかな。
●十傳より→陰毛染めの感覚でもございますです。
「染め」より「整え」でしょうか・・。
●十傳より→ときには毟ってもいいかもです。
「焼く」という手法もございます。
●十傳より→ひげそりシェーバーをつかうと毛詰まりしますですしね。
日本は韓国より若干 仕上がりがニューハーフみたく
なってしまいそうな気がするのですが・・
韓流ドラマを見ると 自然な感じに仕上がってます
それにしても 主役とその他と 違う人種のごとく
差が激しいですね 日本もそう見られてるのでしょうか
女優さんが 暫く姿を消している期間は お直しを
施している時間と聞きました
確かに 吊ったり 打ったりした後は なじませなくちゃ
いけないし でも びっくしりた顔や ひっぱり杉、
ハリ杉じゃないの~と出てこられる老齢ゲーノー人さんも。。
学生時代友達が 逆さまつげを治す手術をして
とっても可愛くなりましたし、
私の憧れ 60代女優さんも 瞼を直されて可愛くなりました!
瞼が垂れる病気もあるのですね いい事伺いましたよ。。
●十傳より→GOひろみつなども、完全におじい様ですしねぇ。「若い!」なんておだてられて、とくいになってクルックルッとひとつ覚えのターンをしたりして。YMCAの西城ビデキときたらは、もう目袋さんにおなりになってますし。
真木よう子さん、潔くてかっこいいですね。
SPのかっこよさにはシビれましたが、それとはまた別のかっこよさを知りました…。
●十傳より→なかなか存在しない存在感のある存在でありますですね。知り合いでなくてホッとしています。
「今回はどの子(が好きなん)だい?」
小学校の遠足の集合写真を見ながら父が尋ねる。
「前から×列目の左から×番目の子だよ」
とニコニコと教えるあたし。
『どの子』を確認した途端に父は小さな悲鳴を上げる。
「うへぇ、お前の好きな子は、いっつもいつも北京原人みたいなのばっかりだなぁ」
「お前には美的センスというものがないのかい?」
「え? あるよ。どんなのがハンサムかは、ちゃんとわかっているよ」
「この子でしょ? それと、この子とこの子。ね?」
「お前は面食いじゃないってわけだ!」
「そう、それそれ。面食いじゃないってだけだって!」
当時のあたしの分析では、変わった顔のつくりをした少年君は、
その顔のつくりの甲斐あって早々に数多くの挫折体験をしており、
紆余曲折&試行錯誤…大変な努力をしている面白い子が多いのでありました。
少年のハンサム君は、まっすぐな子(=つまらない子)が多かったです。
なんだかハンサムを笠に着てなんもしていないというか…。
この当時の偏見がなんら修正されることもなく最近まで息づいていたのでした。
即ち、原人フェチ…
ですが、このブログの拝読を機に、修正されつつあるようです。
外見で惚れられて? 強大に理想化され、素を出したら否定される…
散々な目に遭ってこられた先生。
そんな苦い思い出があるにも関わらず、
その当時にあった幸を愛しむことができるなんて、頭が下がります。
20代までのハンサムさんへの偏見はまだまだ捨て去ることはできませんが、
歳を重ねたハンサムさんへの偏見はなくなりましたです。感謝です。
●十傳より→幸せとは、きっと幸せに囲まれることかもしれませんです。悲惨な過去も、力づくで幸せな想い出に作り替えることにいたしておりますです。それが想い出だけではなく現在進行形でもそうなれば言うことなしでありますのですが。