2011
05.25

こんな質問というか、意見のようなメールがまいりました。
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女性は男性よりも肌から受ける刺激には敏感らしいですが、「脱がして、触って、即挿入して終わり」なんてセックスしかしていなかったら、肌もだんだん鈍感になるんでしょうか?
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えっホント? って感じでありますね。
いまどき、こんな受け身の女性がいるのでありましょうか。

こういう書き方をいたしますと、逆に「私もそうなんですよ」なんておもうかも知りませんけど、それにしても50年ほど前の主婦の友の、読者ページの悩み相談を開いているような気にさせられました。

受け身の女性は、ほんとうの官能を知らずに終わってしまうのかもしれません。
セックスの気持ち良さは、教えられるのではなく、自分から探すことが必要なのであります。

「こんどは私が上になるね」
なんて、男が「おお…」なんて驚いているうちに騎乗位の体位になって、自分からポイントを探り当て、息を荒げるわけですね。
そうすると男も「ははーん、ここなんだな」と理解して、下からそのポイントを刺激するように突きあげ、女の動きを助成するように、たとえば腰骨に手をあてがったりすることになるのでありましょう。

女は、
「わたし、いやらしいでしょう? 軽蔑するでしょう?」
なんていいながら、探り当てた快楽の導線にしがみつき、のぼりつめていくことしかできなくなるんですねぇ。
そのイヤらしさの、なんと可愛いことか。

おもえば、男は、女の快楽に昇り詰めていくお手伝いをしているにすぎないような気がいたしますです。

だから、
「愛してるっていって」
といわれれば「あいしているよ」なんて言葉も発するわけですね。
「もっとぐちゃぐちゃにして」
と哀願されたときは大汗をかきつつ奮闘努力するんですよ。
そして休憩を入れさせてもらい、そこがビーチでもあるかのようにならんで寝そべった女の腰のあたりを撫でながら「いい肉づきだね」とか「脂がのって輝いているじゃないか」などと賞賛するのであります。

質問者さん、いやいや女性のみなさん。
だいたいの女性のベッドでの姿態はこういう感じなんであります。
男の目線で書かれないと、分からないことでございましょう?
自信をもって積極的にセックスに参加して、恥ずかしくありませんです。大丈夫なんです。

2011
05.24

近所のちっぽけな魚屋をのぞきましたところ、
「おおっ!」
と声が出てしまうほどの、いい魚がありました。

イイ魚とは、まず安くなくてはなりません。旨くなくては話になりません。

この両方の条件をクリアした、つまり中落ちのヤツと、金目鯛が並んでいたのであります。

青森とか長崎で、素朴でありながら絶品の才能をもっている女の子を見つけたときの感動に似ているのでありました。

TVをつけながら調理していましたら、長門ヒロユキの通夜の番組。
「くそったれが!」
と悪態をついて消したのであります。
オシドリ夫婦だかになんだか分かりませんが、ボケた老妻をTVに出し、介護している自分を評価させようという姑息な醜老人。
あとは黄色い歯の瀬戸内ジャクショウが死んでくれればいいのに…なんて思いつつ、出刃包丁を握って魚をさばくのでありました。

そんなバカなことに興奮していますと、金目鯛が「すこし痛いかも…」なんて言いますです。
「オオ悪い悪い」
つい快楽慣れしている人妻モードの指づかいになっておったようであります。
こそこそとデリケートに包丁をつかって背骨から肉をそぎ落とすのでありました。

そう、この感覚であります。
奉仕する悦びと、奉仕される悦びが釣り合った時、そこに魂までが震えるような信頼関係が誕生するのであります。
それを愛と呼ぶのかもしれません。

なんという絶妙な味つけか。
腕前ではありませぬ。
新鮮な魚は、味をどこまでも深く香り高く導いてくれるのでございます。
「こんなにやさしくされたのはじめてかも…」
頬をまだらに火照らせて女が息をついているのであります。潮の香りが微かに感じられるその濃い吐息を、肺の奥まで吸い込むと、痺れるような興奮がふたたび満ちてくるのでありました。
彼女の、たったいままで肺にあった空気が、いまは自分の肺の中にあるという一体感は命の奥に沁みとおるのでありました。

金目鯛の命を、いま私の体内にとりこむのでございます。

2011
05.22

高階貴子という才女の歌であります。

ーー忘れじの行く末まではかたければ
      今日をかぎりの命ともがなーー
『忘れないと言ったくれたあなたの言葉が一変わるとも分かりません。幸せなおもいに包まれているうちに死んでしまいたい』

これが一般的な訳であります。

この歌は、貴子がプレイボーイの藤原道隆と付き合い始めた頃のものであります。藤原の道隆はいろいろと女の噂があったので貴子としても気が気ではなかったのでありましょう。

が、二人は結婚するわけでめでたしめでたしなのであります。

この歌の真実は、セックスの快楽のたわ言をそのまま詠んでいるのでしょう。

セックスを繰り返すうちに、深い快楽の淵のようなところから飛び降りる瞬間があり、それは「イクッ!」という快楽といよりは、いまだ知ったことのない未知の快楽の渦が向こうからやってくるという感覚に近いのであります。
そして回数を経るごとに強烈さを増していくのであります。
もう相手を好きなのがうかすら分からなくなり、ただ「死ぬ、死ぬ」と相手の体にしがみつくのみ。
黒髪は乱れ、汗は吹きだし、二人は愛液にまみれて、独特の匂いを漂わせています。
「もうどうなってもいい、このまま死んでしまいたい」
と貴子は道隆のペニスに頬づりしながら呼吸を整えていたことでありましょう。

が、この歌は、もうひとつエロのほかにホラーも備わっているのであります。

儀同三司とは、太政大臣、右大臣、左大臣につぐ要職であります。
貴子と道隆の息子の伊周がその要職に就いたのであります。だから儀同三司の母となっているわけであれます。
それはそれとして、彼女の幸せは、ここまででありました。
やがて息子は失脚いたします。
次第に家運が傾いていくのであります。
心配のさなかに、貴子は亡くなるのでありました。
華やかだった家運が急速に傾いていく恐ろしさを、この歌は予言しているのであります。