2011
05.27

もう六月が近いというのに、羽根を傷めてとべない白鳥が湖にいちわ浮かんでいるのであります。

ロシアの深い森の奥のふるさとの湖に群れて飛び立った仲間たちを見送ったこの白鳥は、いったいなにを待っているのでしょうか。

過酷な夏にたえられるのでしょうか。ほかの獣たちに狙われたりしないでしょうか。

みんな愛する人たちに囲まれて辛いことにも笑顔でがんばっているのを遠くから眺め、いつのまにか一人ぼっちになってしまっている自分を自分で抱きしめるのです。
「おいでよ」
と誘われても用心深くことわり、断ったことを気にやんで、とっくに相手はそのことを忘れているというのに、「こないだは疲れていたから…」と言い訳するのであります。
「だけどね」
と作り笑顔で、
「まいにち楽しいのよ。まわりの仲間ったら愉快な奴らばかりで。先週はね、パーティなんかしちゃって…」
嘘ばっかりです。
先週は近所の総菜屋でころっけ、スーパーでヒラメのお刺身を買って、ひとりで食べました。缶ビールを飲みながら。
白鳥から、そんな声が聞こえてくるのであります。
「わたしをほんとうに愛してくれる人っているの?」
愛されることより、愛することが大切です、愛される前に、あなたは愛しましたか、なんてえらそうな人の書いた本には書かれているけど、たまには、一人ぐらいは、わたしを愛してくれる人がいてもいいんじゃないの。愛されたいなぁ、必要とされたい、愛されたいよと、しゃがみこんでしまいたいくらい。
あなたはお母さんに愛されてますよなんて、そうじゃなくて。お母さんに愛されなくていいから別な人に必要とされたいよ。
でもでもでも、さびしいなんておもわれたくない。だってホント寂しくなんてないのだから。

人とすれ違うと分かりますよね。
この人は愛されているなって。
空気がちがうんですよ。あたたかなやわらかな空気が漂うから。

湖にとり残され、季節にとり残され、みんなからとり残された白鳥は、けれどもいまは湖面に浮かんでおります。
とべない空が重そうなのであります。