2011
06.09
06.09
記録には、一年前はフラッパーな祖母の命日が近いというので、母方の親戚たちとモリオカ近郊の温泉に宿泊していたことが記されております。
まさか一年もたたぬうちに震災で、温泉で顔をあわせた従弟のお嫁さんが亡くなるとはおもってもいなかったのであります。
なにしろ、子供を勘定にいれなければ、もっとも若かったわけです。
そのようなことを考えてみますと、いまいるすべての人たちが影絵のような存在に感じられるのであります。影絵のなかで、独り言を語っているような、そのような淋しさに沈みそうになるのであります。
笑って、喋って、お酒を注がれて。挨拶を交わし、階段を上り下りするスリッパの音や、宴会場から聞こえてくる歌声。
それらがひとつひとつ消えていき、広間に残されているような徒労感。
お膳だの座布団のへこみは残っているのに、誰もいない不安感。
遺影をながめて、ああ、こういう人だったのかとはじめて目や鼻や口の形を確認し、ほんとうにこの人と喋ったことがあったのだろうかなどと不思議な気分になったりもするのであります。それは亡父にたいしてもおなじで、この男が自分の父で、毎日のように顔を合わせていたとはどこか信じられない気持になったりするのであります。
今年は、いつもの年より気温がひくく感じられます。
花もゆったりと咲いているように思えるのであります。