2022
02.19

私メは日干「戊」でございます。
これだけで占うのは素人っぽくてオショシイのでございます。
でも、たまには別人になって上手くいく場合がございますです。

テキトー占いではございますが、「戊」は、かたい岩石を意味しておりまして、いがいに厄介な性格を内蔵していると解釈できますです。
人と楽しく付き合う時に、日干「戊」を素でいきますと、どーも、変なところでヘソを曲げてしまう場合があるのであります。

仕事をしていても、好き嫌いが極度に出てしまい、前に進めなくなることもあるのであります。石頭になるからかもしれません。
ですから、たとえば、講義のテキストを作成するときには、日干「辛」になりきることにしておりますです。奇門遁甲では、「辛」は研究者のよーに、一つのことに深く分け入って調べる凝り性を有しるとされております。

すると、
「このくらいでイイかぁ」
というところを、
「いやいや、完璧なモノに仕上げよう」
なんて面白い現象を体験することになるのであります。

占いの勉強をしている時、年上のオバちゃんにタダで教えてもらいたいときは、日干「乙」の演技をしたいましたです。
乙は、草花のイメージで、周囲から大切にされ、また自信は有力な人に頼るのが上手いという特性があるからであります。

もちろん、日干だけで語るのは乱暴です。
しかし、別人の演技をするには、これくらいの知識で十分。

あのお女性を攻略するには…。
相性の良い自分を演じればイイのであります。

が、いずれは化けの皮が剥がれ、徹底的に軽蔑されるハメにはなるのですが。

とは申しましても、
「なぜか成績があがりません」
そんな悩みの受験生に対して、日干「丁」の演技をほどこして、合格までこぎつけたこともあるので、こんな方法で、自分を操縦することも、また占いの良い面かも知れませんです。「丁」は奇門遁甲でいえば、賢くなる象意があるのですから。

いま私メは、4月からの講義の開設にあたり、日干「辛」になっておるのであります。

2022
02.18

鉄道オタクではないのですが、鉄道が好きであります。

とくに地下鉄は魅力的。

降りて地上に出た時の、迷った感覚はたまりませんです。
どっちが北なのか、どっちにいけば目的地なのか、いっしゅん迷ったあの不安さは地下鉄ならではの魅力なのであります。

丸ノ内線などは、いちど地上に出る時などがあり、四谷あたりの大学のテニス場が見え、かと思うと、ふたたび地下に潜る明暗も大好きであります。

亡父は、都会に出ると、それだけで道に迷って大汗を出したものであります。山ではけっして迷ったりしない男でしたから、その落差をみるのが面白かったです。

東京五輪は大失敗に終わりましたが、渋谷や新宿、大手町の地下通路は整備され、むかしとは様変わりし、たまに赴いて驚くのでございます。そして亡父のよーに迷うのであります。

数年前の冬、釧路に行ったとき、やはり迷いました。
美味い炉端焼きの店があると聞き、タクシーで向かいまして、その帰り道はほろ酔い気分で歩いて戻ろうとしましたら、迷ってしまいました。猛吹雪で寒く、困ったことになったと、どこか浮き浮きしたのです。

断易のことを申したいのでございます。
たとえば年筮。
出て卦を眺めて解読する工程は、道に迷ったスリリングな気持ちにどこか似ています。
それが、
「ああ、この父母は、実家だな」
とか、
「この妻財は朱雀がついているから、あのお女性か」
と、卦が現実の生活と重なって見えた時、それは迷路から抜け出した、
「なぁーんだ」
安心感とほとんど一緒なのであります。

あとは、するすると卦の告げる内容が見えてまいります。

断易の魅力は、こんなところにあるのでございます。

2022
02.17

今年の目標を、「料理のレパートリーを増やし、腕前も磨こう」に置いていますので、おのずと料理のブログUPが多いのであります。

なんだか北欧のまずしい家庭料理っぽくなってしまいましたが、『イワシの白骨料理』とタイトルした次第であります。
疫病のおかげで、男が料理する機会が増えたとのこと。
また、デパートの売り上げが低迷するなか、エプロン売り場だけは繁盛しているそーでもございます。

楽あれば苦ありではありませんが、貧あれば富ありなのでしょーか。

さて、このイワシの白骨料理は、料理の下手な老母が、下手なりに得意とする一品なのでございました。
「ございました」と過去形を用いましたのは、モリオカに戻った折に、作り方を聞きましたところ、
「そったな料理、作って覚えはねぇ」
どーやらボケが、ここまで進んだのかと、ため息をついたからでございます。

当時は、ミキサーもフードプロセッサーもない時代。
すり鉢で、ゴリゴリとイワシをすり身にするところから始まるのでございます。
いまでは、あっという間。

簡単に申せば、イワシのつみれにゴボウを刺して、素揚げにしただけであります。

見かけは「おっととと」ですが、お味は、見かけ×100倍に美味しいのであります。

コロナ禍の真っただ中にある現在、ふたたび以前の生活に舞い戻る夢想を止め、なにか得意とするものを開拓することは、とても大切ではないかと思いますです。
料理も、そのひとつ。
占いを学ぶことも、その一つ。

私メは、チャレンジしたいある分野が、もう一つあるのであります。
ドライフラワーの教室に通うこと、ソレであります。
乾燥花を作れるよーになれば、奇門遁甲の造作の幅が広がるからであります。
たしかに今でも、昔の方法や、レンジでドライフラワーを作っていますし、それで十分かもしれません。
「でもなぁ、やりたいなぁ」
それを阻んでいる気持ちは、
「またお女性との何やらがあるのかもしれないからなぁ」
まぁ、疫病中だし、教室も閉鎖中だろうということで、深くは追及しないことにして安定を保っている状態ではありますです。