2022
08.22

秋が近づいております。
それは空気の匂いとか、夜の星の光で感じることが出来ます。
気温は高くても、海水の、まだらな水温の違いであったり、水道で手を洗う時、その冷やっこさに、
「夏はとっくに終わっているのか」
と感じさせられるのでありました。
八百屋の店先には、梨が置かれ、ブドウの房が滴に光っております。

人生にも、春夏秋冬があり、
「いまでも青春だ」
と加山デブ三がいくら力んでも、エレキギターが哀れなのでありますです。

もう、春ではない。夏でもない。秋も終わり、冬に差し掛かっている。
これが私メの間違いのない自覚でございます。

「今年には死ぬ」
と占ったと記した二三日前のブログですが、数日たって、ご家族から感謝されましたです。
「まだまだ元気で死ぬと言われても信じられませんでしたが」
と前置きされて、「でも助かりました」なのであります。

なぜなら、預貯金を事前に現金化するタイミングが分かったからなのであります。
上手くいくかどーかは、まだ不明ですが、亡くなったお方の預貯金がかなりありまして、
「相続税」
が心配だったのであります。
その預貯金を、まえもって現金化することで相続税を低く抑えるなんらかの手立てになったわけであります。

「あいつは今年死ぬぞ」なんてペラペラ喋るのではなく、つまりはそーいうことに役立つのでございます。
占い以外に、こういう分野を、つまり死期に対して、真剣に向き合うお勉強はないのではないか。
第一死期、第二死期、第三死期。
それぞれに死ぬ原因は異なりますが、だいたいは第三死期が、人生の最後の応期。

私メ自身も、「講義をまともに出来るのは何歳までか」を逆算できるのですから、とても役立ちますです。
むろん、死期とは、当人がそれ以上は生きられない天寿ですから、殺されたり事故で死ぬのは、また別でございます。天寿をまっとうしないケースもあるのではありますです。

新しい占いを開発したい欲望が体内でうずいております。
これは冬の妄想なのかもしれませんです。

2022
08.21

突如として、プリンターのトナーが切れたのでございます。
十傳スクールの後期のテキストの印刷中に…。
予備があると思っていたら、
「ない!」
のでございます。

泡をふいて、担当者に連絡。
至急届けるとのことでした。

こー言う時には、料金の高いリースを組んでいて助かるのでございます。

しかし、待っていても、なかなか来ません。
日没してから、やっと、
「得意先からかき集めました」
大汗をかいてトナー三本を担いで来てくれたのでした。

「一本でイイのに…」

それはそれとして、プリンターが息を吹き返し、ネタネタと印刷物が排出される喜びに、ホッとしたのであります。

いつもは在庫をキチンと管理しているつもりでしたが、齢なのでしょーか。
それとも、暑さがひと段落した、たとえばボイドタイムのよーなボケなのでしょうか。

みなさまも、夏の終わりのうっかりミスにはご注意を。

2022
08.20

宿命と運命の違いを、たまに取り沙汰されますです。
立命という言葉もございますです。

宿命を、私メは、「人は必ず死ぬのだ」と決めつけておりますです。
生まれてから死ぬまでの出来事を事前に知ることが占いだ思いますです。

昨夜、一本の電話がございまして、それは知り合いの「死」でございました。

その知り合いは、
「今年を越えることの出来ない定めである」
正月のあたり、私メは、複数人に語っておりました。

しかし、つい一週間前までは、とても元気でして、その姿を聞きまして、
「占いがハズれたかな?」
9月、10月、11月、12月まであと4カ月。
東洋占術では2月の立春をもって年が変わるのですが、一般的には今年と言えば12月まで。

が、たとえ元気だとしても、推命的には、大運が死期に入っておりまして、それも今年が、
「その年」
なのでした。

電話口では、突如、物を吐いて、そのまま意識不明…とのこと。
「やはりか…」
死の悲しみよりも衝撃よりも、四柱推命が的中したことに対する感動が大きいのでした。
易者の職業病とも申せます。

30年も占いをやっていて、ましてや、スクールを主宰して、「ハズレました」では格好がつかないというか、自信がへし折れてしまいますです。
過去の占い師には、自分で占った自分の死期を当てるために、むりやり自爆などして自死した例がいくつかございます。
職業病であったとしても、それほど大事なことなのでございますです。

「そーか、そーか、そーでなければならぬ」
なんどもなんどもうなづきを繰り返すのでした。

天命とは、事故とかは別にして、何しても、この年齢を越すことの出来ない歳なのでございます。

科学も医学も、不老不死の研究を究極としておりますです。
が、いまのところ、その成果はみられません。
ただ寿命を延ばそーというこころみのみ。

死ぬまで楽しく暇つぶしをすることを目的としたら、気が楽であります。