2015
02.12

精神病院にいけば、もっともらしい病名をつけられることでありましょう。

今年になって頑迷の度合いがますます色濃く出ていることを実感するのでありました。
年齢のせいだとは重々に自覚しております。

相手の発言から、その発言に隠された心の狡さが感じ取られ、あるいは次の発言がどのようなものであるかが手に取るように分かってしまい、いっぺんに気分が塞がれるのでございますです。

相手もまた自由な人間の一人なのだから勝手に言わせておけば良いと思うのでございますが、その余裕のある対応と根っこのところで潰してやりたい気持ちが頭をもたげるのでございます。

子供がうれしそうに持っている風船を破裂させたいというような気持ちに似ておるのであります。

やがて震災から四年。
おそらく三流どもが被災地に来て下手な音楽などかき鳴らすのではあるまいかと想像しただけで怒髪してしまうのでございます。
被災地の入り口で仁王立ちになり、「来るな!」と両手を広げたいものだと、あんがい本気で空想しては、ひとり興奮するのでございます。
それでも来たならば、オレンジ色の仕置き服をきせ、右から順番に処刑してもいいだろうなどと考えては顎髭をさすったりなどしております。
でっちり一族もきてはなりませぬ。

「来ねくていいのはオメだでゃーん!」と地元のなさけない被災者に言われるのは目に見えておりますですが…。

愚かでございます。
すべて私メの妄想に過ぎず、妄想にカッカと熱くなってもいたし方ございませぬ。

と、頭を冷やそうとおもてに出ましたら、枯れたはずの薔薇が蕾をふいているではございませぬか。

春のようでございます。
頑迷の年の始まりでございます。

  1. 死門 + 太陰 試してみます

    ●十傳より→かならず吉方位でなければなりませぬぞ。

  2. あの震災から四年にもなるのですね。
    被害にあわれた方、大切な人を亡くされた方々にとっては
    目にした恐ろしい光景や悲しみは一生消えないのでしょう。
    支援をしに来られる人達の気持ちはともかく
    毎年イベントのように行われる行為が、先生には上っ面のように空々しいものに感じ
    苛ただしさを覚えるのでしょうか。
    何があっても春はやって来るのですね。
    このバラはお母様が手入れをされている薔薇でしょうか
    「さあ、私のもとへ 」と蕾が優しく先生を包み込んでいるようです。

    ●十傳より→励まされる者も、励まされる者もお芝居のよーにしか感じられぬのでございます。放置した虫歯のように。

  3. 自分に似た心の狭さに、嫌悪を感じるのでしょう。

    ●十傳より→それは言えますですね。海外で日本人とすれ違ったときのような嫌悪感でしょうか。ただ、私メの場合、狭心というより歪心が正解であります。