2016
11.29

東洋占術では、富と権力を二本柱に置き、お金持ちであればしやわせで、地位が高ければ良く、良質な男と結ばれれば幸運であるというのが判断の究極に置いているところは周知の事実でございます。

心の問題は、いちおうは占術の範疇ではないとされておるのでございます。

孤独を嫌うのも「孤貧」につながると畏れますです。
孤貧というのは、孤独で貧しい意味であります。

しかし、貧はさておき、孤独が不幸だとはイコールでつながらないのではないかと思ったりいたします。

誠実であれば、孤独に陥ります。

単身赴任で恋人と遠距離恋愛になり、その濁情に誠実であろうとすれば、現地で他の異性と接することを否定いたしますから、おのずと孤独になるのであります。

濁情だけでなく、自分の意思に誠実であることも孤独への道であります。
絆が大切だと言われますが、絆こそトラブルにつながることは言うまでもございませぬ。
が、絆はビジネスチャンスの原点と考えていれば、お金のためにイヤな人間とも仲良くしなければならず、それが大人の常識だとたしなめられる世の中であることも確かであります。

姓名判断セミナーの講義をしながら、そのことが頭にございました。

不幸な名前、凶の画数。あるいは幸運を呼ぶ画数だと解説しながら、お金とか地位とか、正しい恋愛とかを望みながらも、それだけでは満足できなくなり、そして幸運の道から外れていくケースの、なんと多いことか。

四柱推命で、悪い生年月日だと論じ、そして或る大運が来れば金運が満たされると解説し、あるいは方位を使い、改名をすることで運を上げる方法を伝授しながら、けれども「孤独」がはたして不幸に直結するものなのか。

たとえば、差別の厳しい分野に「音楽」がございますです。
絵画や映画や小説はシュールを許しますが、音楽では調子っぱずれを厳しく糾弾し若しくは哄笑し、音痴の輩を仲間に入れてくれませぬ。

では、調子っぱずれの方々は、孤独かと申せば、恥ずかしくはありますが、孤独ではございませんです。

誠実さは孤独だというところから逸脱しますが、あまりに上手すぎる歌手の方が孤独かもしれませんです。

理解されなくても、一つに集中することは、たのしい孤独であり、そして、それは孤独の向こうにも、別の金運の足掛かりを生む方法なのではなかろーかと思ってみたりしたのでありました。

さよなら、さよなら、さよなら
あなたが好きだから、あなたの好きにすればイイのさ。

孤独は、やはり自分に対する誠実の証でありましょう。