2016
11.02

ややや、39歳の私メでございます。
いまでは老いてしまい、このよーな元気だった頃のことは忘れてしまいました。

たしか東北沢にワンルームの仕事場を借りたあたりの頃の写真で、これが、何冊目かの「競馬問題集」という本のプロフィールに使われたのでございました。

とてもイヤらしい男でございますねぇ。

目に剣があるのは、銀座ジプシー一味に対する復讐心がメラメラだったからでございましょーか。いやいや、ソレどころではなくて、原稿の仕事が増えつつあり、でも、「原稿料はいくらですか?」と訊く勇気もなく、黙々とワープロのキイを叩いていたのであります。

当時、23歳あたりのアシスタントも、いまでは四十代かと思うと、人生の時間の儚さを痛感いたすのであります。
とりもなおさず、我が身にしても、まさか、60過ぎになっても占いの仕事をしているとは予想していなかったかもしれませぬが、やはり、いつかは断易などの知識を誰かにお伝えしなくてはいけないと考えていたことは間違いありません。

まだ横のつながりがあった頃で、色々な占い師とも仲良く飲んだりしてまして…そーいえば、ほどんど消えて仕舞いましたですよ。
ホントだ、いなくなってしまい、横のつながりが切れてしまうのも当然であります。

四谷のお亡くなりになった西洋系の先生が、地下室の床に魔法陣を描き12人のお弟子さんを丸裸にしての儀式をしていたと大泣きして仕事部屋に来られたのも、このころの想い出であります。「私をノケ者にしてお気に入りの若いお弟子さんが12使徒になったんですよ、クソ!」と。

よく肉の付いた背中を慰める意味でさすっていたら、ブヂュとされたのには気色が青ざめましたけれど。

これ以上は、振り返りますのは危険そーなので、このへんにしておきましょう。