2016
11.04

ごくごくたまに、こんなものを食いたくなるのです。

謎肉という表記に誘われたのではありません。

カップヌードルが登場したのは17歳の頃かと記憶しております。
袋麺が30円でしたから、100円のカップヌードルは恐ろしくブルジョア的でありまして、食った後のカップを捨てることに抵抗を覚えたものであります。

けれど、プラスチックのフォークで食うのが流行りで、そこに憧れたのでございます。
四角い肉は、宇宙食だとか噂があり、宇宙飛行士はウンコだのをどこでするのか、風呂とかは、洗髪は? の疑問へと派生したのであります。
いまでも一か月も風呂に入らないと思われる宇宙飛行士が帰還した時、宇宙船の扉を開ける係の人が「臭かったす」なんて、何故言わないのか、また宇宙飛行士本人も「ウォシュレットを使いたいです」と言わないのはどーしてかなどと首を傾げるばかりであります。

てなことを考えつつ、待つこと三分。
せっかくですからトッピングなどをして楽しむのでございました。

ビッグサイズはいつも後悔いたします。
「普通のにすればイカッタ」と。

やがて時がたち、カップ麺もいろいろと種類が豊富になりましたです。
羨ましいのは、コンビニの前で、ジャンバーをはおった男女がバイクの脇のコンクリに、ぢか坐りして無心にカップ麺を無心に貪っている風景であります。ときどき大げさに咳き込むポーズも羨ましいのであります。

私メが真似をしたらホームレスの哀れな老人としか評価されないでありましょう。

しやわせとはいったい、何でありましょーか。

犯罪者の家族の方が以前、おっしゃっておりました。
「幸せそうな人たちが書いた生き方だのの本って薄っぺらなんだよね」と。

編集者が手を入れ商品化した本ですから、そう思うのは当然でありましょう。さいきん、スピ本が復活してきましたが、それらを眺めるたびに、しやわせはここにはないのだろうと、くだんの家族の方が漏らした言葉を思い出すのであります。

コンビニ前で食う、カップ麺の味にこそ、しやわせの正体が隠されているよーに、思うのですが、その正体を実行するには、ちと歳をくいましてございます。