2018
07.27

プッチーニの歌劇でも聞こえてきそうな真夏の湖畔の木々の声に包まれているのであります。

毒は何にでも含まれているよーに、都会の仕事の中が充実していたとしても心身は枯れ始めていたことを風は告げるのであります。

安倍一族が源氏に追われ、この沼をこえ、最後の北の砦に走っただろう、しかし捕らえられて首を討たれた棺に、村人が手向けた蓮の花、その蓮の花の種が、昭和になって発見され、ふたたび開花した淋しき湖面には青空が映っておるのでございます。

その蓮も散り、残骸が青々と迎えてくれたのでありました。

お寺参りの途中にいつも立ち寄る沼でありました。

夏祭りの準備のかわいた賑わいが高く低くつたわっておりました。
暗い本堂で法事の段取りを済ませ、
「蕎麦でも…」
誘いを、いやいやと遠慮し、供花とお菓子と果物をお願いし、死者の墓の草などを抜き、冷たい水で手を洗い、線香に火をつけ、
「ことしの夏は暑いですな」
などと都会の私メはけっして口にしないお追従で辞し、

ああ、今年も7月27日なのだな…と夏空を仰ぐのでありました。
思い出してはいけない日でありました。
「煙草が乾くまで帰らない」
岩石に並べられたセブンスター。
青空の向こうは17歳の私メがいて、夏花が咲く隣にはオレンジ色の水着がすけるまでに濡らしたTシャツのお女性がおりました。
はじめてお女性の体が、これほどまでに柔いモノだと知った日でありました。

「まり子はメロメロ、もうメロメロ」

たくさんの言葉を絡めたはずなのに、覚えているのはたったひとつかふたつのフレーズ。

時は流れ、彼女も散った蓮の花なのでございましょう。

すべて湖面に映る光と風なのでありました。
毒はどこにでも沁みておるのでございいます。