2017
05.18

神楽坂の事務所に泊まり込んで、カレンダーやらスクールで使用するテキストの製本をしておりました。

深夜に布団に崩れこみ、朝になると飯屋を求めて近道の裏路地をつつき歩くのであります。

一筋、二筋、通りから入ると、面白い異国っぽい店がいくつかございます。
が、そこには入りませぬ。

入れば謎が消えてしまうでしょうし、おそらく想像より平凡な店であることが分かってしまうからであります。
解明するなら、いずれ、お女性と…とも思うのであります。

見上げましたら、こんな魅力的な看板がございました。

家政婦さんの紹介所。

ネェヤさんとは違うことは重々承知であります。

が、ふと幼い頃、実家に住み込みで働いていたネェヤさんを想いだしてしまうのでありました。

中学を出て間もない、ざいの田舎のみすぼらしい少女が、手ぬぐいかぶりの父親連れで玄関に立つのであります。
玄関に立つのは、その時と、ネェヤさんを辞める時だけ。
あとは裏玄関を使用するのであります。

行儀見習いもかねて、やく二年間お手伝いのネエヤさんとして働くのであります。初めの頃は、ほととんど野生児で、箸をぼんぼ握りでご飯を喰い、お釜を平気でまたいでは、叱られるのでありました。

でも、まもなく、マナーや掃除や買い物にも慣れていくのであります。

母とも叔母とも年上の従妹ともちがう、あまくるしく甘えられる相手でありました。

花見などに同行することもあり、それはそれは嬉しそうに、歯茎をだしてご機嫌でありました。

坂道を利用して作られた野外映画では、かごに入れた枝豆を五六粒、いっきに口に放り込みながら、うんうんとうなづいて見入っているのでありました。

クリスマス・イブは、でもすこし悲しそうでありました。

屋敷の北側に四畳半のネェヤさん部屋がございまして、そこに二人のネェヤさんが相部屋しておるのであります。一度だけのぞいたことがございます。
雑誌の平凡や明星から切り抜いた橋幸夫や三田明のグラビアの写真が壁に貼られ、なぜか畳に脱脂綿が散乱しているのでありました。

ネェヤさんが辞めるときは、絶望的なくらいに淋しくて辛くて、私メは、もうここから先は見知らぬ家々のならぶ未知の通りだと怖くなるくらいの境界線まで見送ったものであります。
バス停で、さいごにネェヤさんは、私メの目の高さまでしゃがみ込んで、
「わだすはね、お嫁さんになるんだよ。いづまでも良い子さんになっててね」
と耳打ちすることもあるでありました。

家政婦紹介所の看板を見て、そういう過去に胸が熱くなるのでした。

新鮮な気持ちに帰り、事務所でふたたび製本作り。
印刷機が熱を持ち、クーラーを点けても汗。

遠雷が、本格的な夏の到来の近いことを教えてくれるのでありました。

17 comments

▼コメントする
  1. 茅ヶ崎を引きはらい
    神楽坂にお住まいにならないのですか?
    ペットがダメだからですか?
    ワンコ達、寂しがってるだろうなぁ
    なんて勝手に思ってしまい、ごめんなさい

    ●十傳より→住めば、嫌なところが目についてしまうではありませぬか。

  2. 裏玄関を使用する…住み込みで働いていたネェヤさんは、お給金を頂きつつ、マナーや掃除や買い物等を身につけお嫁に行けるようになるのですね。
    先生の御ぼっちマン家系の豊かさと温かみを感じつつ…
    それ以上に、幸せなネェヤさんの命式が気になるようになりました候。

    ●十傳より→没落一族もまた辛いモノであります、いろいろと。

  3. 先生って講義中の談話とかで何となく、しかしながら、そー思ってましたが…
    ボンボンなんですねー。
    でも腹ポンポンなんですよねー今はーって、嗜虐も当てはまらないし…
    だんでぃーだし…
    元々ビンボーレールの上から脱線出来ないで、よそ見したら偶然にも占いに出会った僕とは下地が違うですー。どーしてもビンボー目線で解説し、絶望の淵とドン底にたたせてしまいます。もう少しえれがんとに言えたら良いけど…でもキレられた事もなく…僕の持ち味ですかね?

      ●十傳より→ボンボンもビンボーも選んで生まれることはできませぬ。その持ち味で勝負するしかございませぬ。

  4. じわじわ と胸に沁み込むようなお話です
    「ネェヤさん」は幼い先生にとって どんな存在だったのでしょう
    お母さん、お姉さん、友達、恋人
    自分を受け止めてくれる 温かい存在だったのでしょうね
    子供の頃に読んだ小説、大分前に映画化されたことがあった小説
    どうしても題名が想い出せません
    母親が病弱なため 乳母のもとで育てられ、少年へと成長したその子は実家へと戻される
    乳母と無理やり引き離される場面が あまりにも可哀そうでした
    実家へ戻った少年は 実の家族と馴染めず モンモンとした毎日を送り
    そんな中、病弱な母親の様態が悪くなり
    少年は わずかな オコズカイ で、母のために 牛肉を買う
    内容は全然違いますが、先生のお話を読んでいて コノ小説を想いだしました
    神楽坂、素敵ですね
    いつか 好きな人、愛する人と歩いてみたい

    ●十傳より→親から叱られたとき、慰めてくれる存在でしたか…。なかには「家出すればいがべ」とそそのかすネエヤさんもいましたが。

  5. 母になるお女性にとって子供からの信頼とは免許皆伝にも等しいものです。ただの行儀作法だとしても親元離れた孤独の中で、先生の無邪気さはどれほど頼もしかったことでしょう。初めから強くてたくましい人などいません。スキルだけでなく一番大切な「自信」までつけさせてもらえる理想の教育環境だったと思いますよ。羨ましい限りです。

      ●十傳より→家に出る幽霊の中には、むかし住んでいたネエヤさんのもいるらしいであります。

    • そのネェヤさんは残留思念だと思われます。楽しかったあの頃を懐かしく思い出すのは、なにも人間ばかりではありませんよ。お屋敷もまた長く続けてきた役目に想いを馳せているのです。みんな幸せだったのです。感謝しているのです。ただ、それだけのことなのです。

        ●十傳より→と、言い切れるのはスゴイでありますね。

      • 私に真偽はわかりかねますが、見解ならはっきりと述べることができます。所詮どこまでいっても「(いろんな意味で)スゴイね!」で終わる話です。なんと思われようと大した話ではないのです。

        ●十傳より→スゴイでありますね!

        • なんということでしょう。先生に褒められてしまいました…。

          ●十傳より→イガったすか。

          • やんばいやんばいだ。

            ●十傳より→屁をするでない。

          • バレましたね。

            ●十傳より→もは、いんでね。その話、飽きましたです。

  6. ネェヤさん…羨ましい!
    我家も先祖は金持ちで家政婦が一杯入たり屋敷や土地があったようですが子孫には残らず(^^;)
    家紋は鷹の羽や西日本に多い桐ですが何にでも歴史ありですね。

      ●十傳より→没落は世の常でございましょう。

    • そういえばイオンに買収されて消滅した某スーパーのN内家の子孫が、不動を借りる時とか「これは高い物件です」なんていわれようものなら「うちはあのN内家です」ととてもプライドが高いという話を聞いたことがあります。
      まあスーパーはなくなってもそれなりに資産は残っているのでしょうね。

        ●十傳より→オノ家もまたプライトだけで長生きしているお方が多いのであります。法事の際は大変であります。

  7. 小野権左衛門の末裔であらせられるのですか?

      ●十傳より→権左衛門さんとは無縁であります。

  8. 先生が優しいのは子供時代にルーツがあるのかもですね。
    家柄や外見などで羨ましがられ、先生は無条件に足を引っ張られる側だったのでしょうか?

    ●十傳より→幼少の私メは鼻持ちならぬ男だったと自覚しておりますです。いまも、その尻尾は残っておりますけれど。

  9. 昭和40年代、まだ下宿が当たり前だった頃、小学六年の時の教育実習に来ていた凄く可愛いい女の先生が近所のタバコ屋に下宿していて、同じクラスのそのタバコ屋のスケベ息子が風呂上りを覗いて「はだかになると色が真っ白」とか「薄いピンク色」という話を得意になってしていたのを思い出します。
    そういう時代でしたね。いまならバストイレは当たり前ですが、あの時代ちょっと覗かれたくらいなら「ああんだめよ」で困惑しながらも仕方ないわねで許されていた、緩い時代でした。

      ●十傳より→覗かれないよーではお女性としては問題カモであります。

  10. 下谷にある小野照崎神社は、この世とあの世を繋ぐ神様を祀っているとのことですが
    小野先生とは何か関係があるのですか?

      ●十傳より→無関係という関係であります。

  11. 野外映画で枝豆食べながら 頷いたり ポスターと 脱脂綿 あー、いるいる と 思っちゃいました 先生はやっぱり面白いです
    姉やさん、今も 先生のこと 思い出すでしょうね

    ●十傳より→あれから数年して、子供の手を引いて訪ねてみえました。表玄関からのネエヤさんは別の人でありました。