2018
02.22
02.22
モリオカのあまりの寒さは、温泉で温まるほか道はないのでありました。
凍結の路面より、実家の車の暖房がなかなか効かないことの方が問題でございました。
それでも秋田との県境にある、温泉でぬくもり、上がろうとしては、まだまだ寒いと、なお温もり、そーやって出てから飲むコーヒー牛乳の美味いこと。冷えた瓶のガラスの口あたりまで、しやわせなのでございます。
都会での面倒な事柄が漂白されていることも、心の安らぎなのでございます。
「……!」
あることを思い出しました。
「あさって、命日だね、お婆ちゃんの」
「んだんだ」
と老母。
22年前に亡くなった命日を不意に思い出したのでありました。
が、明後日に、私メはモリオカにはおりませぬ。
売店での買い物を切り上げ、ふたたびハンドルをモリオカへと切り直すのでありました。
墓地は静まり返り、墓地の奥にある代々の墓までは膝が隠れるほどの雪をこいで行かねばならないのでありました。
墓石は雪の中に閉ざされ、その雪をかきあげる道具もございまぬ。
雪上に線香を四本手向け、
「23回忌は秋になるぞ」
と独り言を。
亡父の死からちょうど10年前に亡くなった祖母は、亡父よりも想い出が鮮やかなのであります。あれほど愛されたことはございませぬ。
その愛情がうっとうしくて、モリオカを去った私メでございます。
最初の本を出した時、まだ生きていて、
「本当にあんだが買いたのか。盗作したのか」
などと疑われました。
祖母にとって、私メは心配の種だけだったかもしれませぬ。
中学の時は「根性」と書かれた額を贈られたりもいたしましたから。
最初の本を出した翌年に亡くなったのであります。
温泉で温もった身体も冷えたまま、墓石も見えぬ雪原で、しばし、想い出に耽るのでございました。
今日はにゃんにゃんにゃんの日でしたね。
しろねこの夢を見ました。
「くろねこ」さんはしあわせな日でしたでしょうか。
●十傳より→何ヤツじゃ。
小野先生こんばんは、私の場合、実際に占い師をやって屋台や事務所開くより、キャバクラ嬢やってお客にチップもらうほうがいいですかね?お客さんを占ったら必ずお金あげるという人が出てくると思うんですが、いい女ぶってお金受け取りません、と言ってもお客の機嫌損ないそうだし、水商売なんて若いうちしかできませんからね。
●十傳より→クダクダと考えるより、行動したらいかがでありましょう。
先生は 愛 に恵まれた人生を送られてきたのですね
若い頃、重い布団のようにウットウしく感じた お婆様の愛情も
遠い過去になればなるほど、温もりとして戻ってくるのですね
父も母も10代のころに両親を亡くしていますので
私は お爺さん・お婆さんの 温もりを知りません
一昨年だったか、もっと前か、先生は男性と共に映っている 立ち姿の お婆様 の写真を
ブログに載せられたことがありましたが
そのお婆様のお顔と私の お婆さん(父親の母)の顔がよく似ていたのです
もちろん直接会ったことはなく、あくまでも写真の お婆さんの顔ですが
先生のブログの お婆様のお顔を拝見したとき 「 あらっ 」
とても不思議な感覚を覚えたのを今でも忘れません
これも何かのご縁
25日の夜、自宅で先生のお婆様にお茶を入れて差し上げようと思います
またまた お婆様の声が
「 だ・か・ら 、 まめえさん、誰 ? 」
●十傳より→そのお婆ちゃんは父方の方でして、母方の祖母はイジワルいのでありました。
小野先生、こんにちは、40代になるとそろそろ遺産相続の問題になりますが、火の大運でまだ若かったころ、趣味のビーズ手芸やジュエリー買いあさったり、株やネットビジネスに手を出して失敗したりして、そんな時に遺産を受け取ってもすぐ散財して一文無しになるのがおちだったと今思うようになりました。土星が制限をかけて、額に汗して働くことと、遺産は食べていけるだけで細々と暮らしていくことが大事ということに気づかされました。財多身弱時に大金受け取ってもあっと言う間に遊びに使っていたでしょうね。結局占い通り結婚せずに一人で細々と生きる晩年です。
●十傳より→占いのせいにしてはいけませんです。
盛岡は、不気味です
●十傳より→ですか。
にゃにゃにゃ?
幸福な出来事についてあまり語ってはいけないと、人生の先輩から伺ったことがありまして…
●十傳より→ですよね。
なんか日本語がおかしくなりました。
狂いかけのようですね?
●十傳より→かけではなく満にちかいよーな。
コーヒーのミルク仕立てってことは、「コーヒー」がメインだったんですね。ビンの形から、てっきり「牛乳」がメインだと思いこんでいました。
●十傳より→下痢しなければ珈琲、下痢すれば牛乳。
ながく文字とイメージ(絵)だけの世界にいると、「飲みもの」と「読みもの」の区別も、つかなくなるようです。本当のところは飲んでみないとわからないのに、どうして「飲みたい」って欲が湧きおこらないのでしょうか…。ひたすら頭で味を思考するのです。夢や希望はそうしたところから膨らむのかなと、おもったのです。
●十傳より→思考を停止するのも大切でありますです。