2018
08.10

横浜。
浜風が熱暑をいくぶんか和らげるのでございました。

茅ヶ崎の自宅からだと気軽に行ける距離なのですが、ご無沙汰しておりました。

約束時間ギリギリまで仕事をし、午後4時近くになって外出の準備をしても余裕なのでありました。2年ほど前、いまは故人となられたある老婦人に呼ばれたことを思い出しました。あの日も暑い夏の日でありました。

カジキのカルパッチョやパエリアをつまみつつ上等なシャンパンを傾け、そういう感じが港みらいには良く似合いますです。

そして、横浜にはうっすらと死の影のようなものが漂っております。
「最近、有名人が良く死ぬね」
「次は誰かな」
という話題にかたむくのであります。
誰が死んでほしいかという話題もブラックとして渋めのワインを飲んでいますと、そういう方向に流れるのであります。
缶ビールを呷りながら歩く米人たち、ネズミの風情の日本人、いやに肌を露出した中国のお女性。

ときおり歓声が上がるのは、ちかくの遊園地からでありましょう。

「カップラーメンを食おうよ」
ということになり、近くのベンチに座りながらすするのでありましたが、横浜のカップラーメンは妙に美味いことに気づきましたです。
まさかカップラーメンミュージアムのあるせいではないでしょうが。

そして、帰宅しましたら、近所でご不幸があったらしいのです。
いつも挨拶する近所の男、女房に逃げられたのにキャンピングカーを買って得意になって洗車するのが趣味の男の死でありました。

「横浜に行くと誰かが死ぬのかな」
ふいに夜の熱気が背中に張り付くのでありました。

  1. 私の住む小さな町でも、大きめの葬儀会場が4件もあります
    「 何故こうも人が亡くなる 」 と言いたくなるほど、お葬式が絶えません
    火葬場も順番待ちをしなくてはならないくらい
    死神さんが張り切ってお仕事をしているようです
    ついこの間まで我が家では、飼い猫が治療虚しく次々と命を落としていきました
    まるで私の身代わりになってくれたように
    残り数匹はまだ健在で
    もう、これ以上は新たに飼いたくないと思っていたのに
    友人が保護した 子猫を連れてきてしまったのです
    人間で言えば 小学5・6年生というところでしょうか
    タマちゃんと名づけられた元気な男の子です
    ニャッ ヘ_______ イ と辺りかまわず走り回り
    先輩猫達に飛びついては フ_____ と怒られ、猫パンチを食らい
    時には、やっと眠りについた私の顔の上を走り抜けていきます
    遊び疲れた タマ を抱きかかえ、優しく体を擦ると ゴロゴロ と喉を鳴らし
    幸せそうな目で私を見つめる可愛い顔
    この子には死に対する恐れも、生きて行く不安も無いのでしょう
    知ることが出来ないというのは 幸せなことなのかもしれませんね

    ●十傳より→人間だけの苦しみだと思いますです。

  2. 香港や上海のような映画の舞台にするにはまだ毒が薄い気がしますが、数年前とは変わったのでしょうか?

    ●十傳より→完全なテーマパークになってしまい、バタ臭さが失われましたね。

  3. 「生けるものは滅びぬ 滅んだものは生き返る」
    という音楽を最近聴きました。
    生も無常なら死もまた無常、そうならばその通りだと思います
    しかし、横浜の問題は移民難民が押し寄せていることにあると思います
    これら移民難民は横浜の地域コミュニティを悉く壊しています

      ●十傳より→外人居住区が、しだいに範囲を広げ浸食し始めているのは問題であります。