07.12
易に「風沢中孚」という卦があり、これについては、十傳スクールの断易初等科などでたびたび述べています。
一般的な解釈としては、「真心を尽くせ」「誠意が大切だ」「キスの卦だ」などど各書に述べられております。
しかし、実際はすべて軽すぎる解釈であります。
「孚」とは、鳥が子供をさらう象形文字であることは、「孚」の文字を眺めれば、どなたの目にも納得されるはずであります。
実際、中孚は、力でねじ伏せ、相手に忠誠を誓わせること。その意味があってこその「真心・誠意」なのでございます。
「孚」は「俘囚」という悲惨な歴史を思い出させます。
かつての蝦夷民族が、大和朝廷の勢力に押され、東北の果てにまで追いやられた歴史でございます。
蝦夷の多くは、大和朝廷に屈し、「俘囚」として奴隷のごとき扱いを受けていたのであります。
さらに忠誠を試すため、大和朝廷に最後まで逆らった蝦夷たちを、ひっとらえ、穴を掘らせて、彼らを生き埋めにし、土をかぶせて、俘囚たちに足で固めさせたのであります。跳ねる祭りの原型。仲間の胃袋が、土の中で破裂するひびきを足裏に感じつつ、涙を笑顔でごまかして「はやく楽になれ」と破れかぶれに跳ねまわったことでありましょう。
夷を以て夷を制するというヤつでございます。
それが、ねぶた祭りの起源でございます。
描かれているのは坂上田村麻呂。
「ねぶた」の「ね」は「根」。命のことであります。息の根とかもうしますでしょう。
「ぶた」は「蓋」。命に蓋をすること。生き埋めの刑であります。
さて、お話はこれから。
その、ねぶた祭りを、青森のおっちゃんたちが、南朝鮮に披露したことがございます。イベントの盛り上げ方から、何から何まで教えたとか。
ところが、彼らは、「起源は朝鮮にある」と言い出したとか。
これについては「ねぶた 韓国」で検索すればお分かりであります。
青森県の気のイイおっちゃんたちは、「あいったぁ!」と独特の感嘆詞で空を仰ぎ「やるもんだおんなぁ」とおったまげただけで抗議もしなかったらしいのであります。
「おらたちの歴史は仲間を殺した歴史だおん。抗議などできたもんじゃねべ」
そのしおらしい青森県民とは逆に、南チョンちゃんは、「ピザは韓国料理が起源だ」とイタリアにいちゃもんをつけた過去もあるとか。すさまじくオショシく哀しく滑稽な微笑ましいお話であります。
中国が起源の「端午の節句」を自国のものだとしてユネスコに申請し選定されたという事実も。文明や文化をとにかく作り出したい焦りなのでございましょーか。
誠意という言葉がイタイのであります。「孚」という文字がお似合いかもですね。
ねぶた祭りとは、
そんな悍ましい祭りだったんですか‼️
●十傳より→という説もあるってことですね。
見ていて楽しいはずなのですが
何故か 狂気というものが見え隠れするような感を覚えるのは
お祭りは元々、残忍さや悲しみによって誕生したものだったからかもしれませんね
ところで “ねぶた“ や“端午の節句“ に関しては「 へぇ― そんなことが」ですが
「 ピザは韓国料理が起源だ 」 なななな、ナンですと ! !
どこをどうしたら そんな発想が出てくるのか …. ?
●十傳より→チヂミがピザの原型という発想らしいであります。
モリオカルーツですが、30年以上青森県民をやって参りましたが。。
「だがら、原発だの、最終処理場だの作られるんず!」
で、ございます。。
●十傳より→スコップ三味線だの、地吹雪ツアーだの太宰だの、根深い罪の意識がございますです。
漢字の本来の意味合いをしると容易に使えないですね。
私の名前に使われている「美」という字は羊のちょんぎった生首のこととか。
美しいか〜?
●十傳より→美味しそーであります。
中孚は、あんたの大事なとこ見せてだとおもってました。誠意ですか。
●十傳より→坂上田村麻呂は征夷大将軍なのであります。
いっそ在日チョンどもをねぶたの計にでもしてやればいいですね。見せしめの意味でも。
●十傳より→いやいや大切に管理する必要がありますです。
ねぶた祭りにそのような歴史があったとは。中孚という卦を誤解しておりました。
改めて自己の解釈の誤認、知見の浅さを感じます。
パワーボックスの効果にも戦慄しましたし。
小野先生は国宝であります。
●十傳より→角川の漢和辞典になら、そーいうことが載っておりますです。
知恵の国中国と力の国韓国…
個人的な見解ですがそんな歴史があったとは。
しかも征夷大将軍の坂上田村麻呂、
悲劇です、悲劇です、悲劇です。
考えてみたら祭りに付き物なのは炎。
こういった悲しい出来事を熱さとして心の中に刻み込んでほしいという民衆の教えなのかもですね。
あくまでも個人的な見解でした。
●十傳より→祭りはエロと暴力の匂いがします。
ありがとうございます。角川の漢和辞典、要チェックしておきます。
宝くじが当たったら一生文献に囲まれて寝食忘れて読み続けたいであります。
そういえば図書館の図書は河図洛書の略であると最近知りました。
また、明治時代では休門を福門、景門を祟門と記述したとされる文献をネット上でアップされていたのも発見しまして、知的好奇心がそそられます。
●十傳より→私メも雑誌展開では日影門とかの門を作り出しましたです。
日影門ですか!素晴らしい名付けですね。
非常に興味があります。そういった書籍が小野先生から発刊されることを切に願ってやみません。
●十傳より→モリオカの古い地名からパクったりしましたです。