07.29
八十や九十まで、ずうずうしく生きたくはありませんです。
五十を超えますと、人間の錆が出てきて晩節を汚すことになりますです。
他人のために生きているわけではないのですから、晩節を汚してもいっこうにかまわないのかもしれませんですが、でもやはり、
「あの人は生き過ぎたのよ」
と聞こえるよーな声で陰口を叩かれたくありませんです。
では、三十後半から四十代前半が、死ぬ適齢期となりますです。
とっくに過ぎてしまいました。
死に遅れた廃墟でございます。
今年の夏のタイトルも「廃墟」が適切かもしれません。
醜い中国人がもたらしたコロナのおかげで、世界中の工場が操業を停止したためなのか、いつもの夏に比して涼しいのであります。東京では熱帯夜もありませんです。
寂しいほど涼しく、五輪もなく祭りも中止となりまして、まさに廃墟。
南朝鮮からは、慰安婦に天皇が土下座して謝罪する象まで設置されてからかわれておりますです。
本来なら大久保の朝鮮人部落に押し入り無差別に朝鮮人を退治してもおかしくありませんのに、サルたちはニヤニヤ顔。やることと言えば、SNSで匿名で、他人の恋愛などを茶化すだけ。
現在、九十代の棺桶組にこそ行動に出てもらいたいものであります。それこそ生きていても迷惑なのでありますから。私メのような片足組も平和に飽き飽きしていますから、いつでも支援いたしますです。
五輪開催だったはずの日に、水泳の死にぞこないの女の子が、なにやら希望的なことを喋らせられていましたが、あれには胸が痛みましたです。
そーいえば、まだお女性からの誘惑のご連絡をいただけているのであります。しかし、廃墟の夏のためか、
「コロナ明けにしよーか」
気持ちが燃えませんです。
加齢のためなのか疫病への用心なのか、いずれにしても死の瀬戸際になってから、
「しまった…」
と思うのかどーか。
20代の時に、取りこぼしたお女性も、もはや60代。
FIlAのテニスウェアを身に着けたイイ女も、生きていればお婆の生き恥をさらしているのでございましょーか。
おかげさまで、こーやってブログを書いているいま、この瞬間に息絶えてもかまわない境地に達しておりますです。目もくらむよーな快楽に悶絶するよーな死の瞬間の到来を、どこかで待ち遠しい夢としているのであります。
結婚適齢期も死ぬ適齢期も過ぎてしまいました。
せめて易者適齢期には近いかも・・・という
弱い妄想の中、コロナを退屈しのぎとし、
ゆるゆると頑張っています。
●十傳より→その達観は素晴らしいであります。これまでの苦労や不幸や喜びや楽しみ、すべてを財産とできるのは易者稼業をおいてほかにございませんです。
僕は四柱推命で自分自身を分析すると78-88歳がが死期なんですが、それでは遅すぎるんですね。今のうちにやり遂げたいことも多いので。ただ、コロナはまだこれからなのは見てわかります。。あちこち廃墟になる前に吉方位は実行します。
●十傳より→座山にも注目してくださいまし。
池江瑠花子さん、作家の山内マリ子さんににてますね。
可愛いですもん。オノ先生のタイプなんですね。
●十傳より→べつにタイプというほどではございませんが…。
鬼籍に入らないのは、あの世からお呼びでないから。
彼女たちには生気があります。
●十傳より→生け花のよーに、生気のあるうちに…という考え方もございますです。
ついに岩手も陥落してしまいましたか…
中国肺炎は続くよ、どこまでも。
行き着くところは人類滅亡ですかね。
●十傳より→モリオカの夜はたるみすぎていましたからね。あとは感染者が増えるのみでございましょー。
伯母が亡くなっているのを知りました。
「生きている」と思ったのですが………。
●十傳より→それはご愁傷さまでございます。
五月雨をあつめて早し最上川
学校で教えられたときは
意味がよくわからなかったです
こーゆーことだったとは
●十傳より→年々、大規模な災害に膨らんでいきますですね。
先生、新しい本、楽しみにしてます。
●十傳より→ありがとーございますです。増補版ですけどね。
目も眩むような死の瞬間
タジ男と犬をつれて海へ行かねばなりませんね。
●十傳より→タジ男ですか。
河洛理推命は復活しないのでしょうか?
風角も好きです。
●十傳より→河洛理、忘れてましたです。風角は相性占いの最高峰でありましょう。
ボイドタイムはまだですか?
●十傳より→忘れてました。
新型コロナはもうどこにも逃げ場がないんですね。中国製の生物兵器なのは明らかなのに。日本のマスコミはそれを黙殺してます。今後は自分自身の勘と吉方位で対抗するのみですね。
●十傳より→一人残らず退治することが必要でありますです。香港も台湾も朝鮮も含めてぜんぶ。
河川の氾濫の濁流に、疫病者放流したとのウワサがあります。死者出て無いですから。ウワサです。しかし、ありえる地域性です…
事実なら、無慈悲な感染拡大防止処置。
世の中、まだまだ捨てたもんじゃありません。でも、もうすでに末法のような気がします。
易者のウデをあげなくては。
●十傳より→暴動がおきたら楽しいでしょーね。
ノストラダムスなどの予言(今思えば人騒がせな)ブームなどもあったのか30くらいまでしか生きないだろう、40までだろう、ながいきしたいとも思わないし、最愛の父がなくなり一日でも早く迎えに来ていただきたいと思いつつ、49もこえ、、、
私も死ぬ適齢期は先生と同じく30代、40代と思ってます。美人薄命、田宮二郎とか。
なのに世間はコロナさわぎ。宗教者もすっかり自粛。インフルより死亡率低いのになぜにさわいでいるのか。本当はコロナは唯の風邪ではないのか?宗教者なら死ぬも生きるも神の御心と不動の心、あるいはキリストのような奇跡を起こし人々を目覚めさせるのが本当ではないのか、、、コロナそのものより経済的インパクト、人との接触が減り、心理的に落ち込むなどで死ぬ方が多いのではないか
一度人間は死ぬんだから、死にざま、生き方が大事なのではないか、武士道とは死ぬことと見つけたり
●十傳より→コロナコロナと連日、やかましいですね。
「生きていますか」
今にして思うと とても不思議なことでした
小学校に上がるか上がらないかの年齢だったでしょうか
幼い私は毎朝目が覚める度
「今日も生きていた …… 」 何故なのでしょう
安堵とも不安とも分からない感情のまま心の中で呟いていたのです
それから時が経ち21歳の頃、訳の分からぬ病気で苦しんでいたところ
知人の紹介で有名な占い師の先生に鑑定してもらいました
あの超有名な事件の被害者の会の方々が、まだ警察が事件として扱われていない段階で
「どうにか手立てはないものか」と、この先生のもとへ相談に来られたそうです
鑑定の結果、病気や不運の原因は引っ越す度に方位を犯していたことにありました
鑑定士の先生はその他いろいろと話をしてくれたのですが
「 あれ? おかしいですね ….. 本来ならアナタはとっくに亡くなっているはずです 」
暫く私をジッと見つめていると
「 あなたの数代前の女性のご先祖様が徳の高い方で、その方の力によるものですね 」
「 でも、それだけではないような …. 不思議ですね 」
「 それと、その女性ですが、お顔やお声があなたにソックリです 」
「 その方はまだ成仏されていないようですので、今日から供養してあげて下さい 」
私は帰宅してすぐ箪笥の上に仮仏壇を作り、お線香とお水を添えて供養しました
すると あララララ 、なんてこったい
意識していたわけではないのですが、今までキリキリと痛んでいた胃の痛みが
スッ と跡形も無くなってしまったのです
いただいた命、大切にしなかったら バチがあたりますね
●十傳より→どのようにすれば大切にできるのかが問題でありますね。
>では、三十後半から四十代前半が、死ぬ適齢期となりますです。
せんせー。ぼかぁ、まだ、しぬきは、ないんですよ!
●十傳より→適齢期を過ぎた時、適齢期だったとわかるかもです。