09.03
東海道線下り、戸塚駅の手前で、それまで右手に見えていた横須賀線のレールが、高架によって左側に変わります。
その高架橋の一部が画像に見えております。
見上げると、空は秋。
35度を超す気温の連日で、暑いばかり暑いのですが、今年は、
「夏があったのか」
と訊かれると、「あった」と言いつつも、「なかったかも」と素直に夏の存在をみとめられないのであります。
気分は6月のまま9月であります。
夏嫌いの私メですが、イヤな夏が過ぎ去る快感がいまひとつ得られませんです。
病気をして、女盛りを病院で長期療養をしていた叔母を連想してしまうのでございます。
四柱推命で、お女性にとって官殺は、男の意味と、病気の意味の両方を備えておりますです。
忌官殺ですと、男で苦しむか、病気で苦しむか、ということになり、叔母は、
「両方で苦しんだおん」
病気が癒えて、季節でいえば人生の秋にお見合いをして、相手の男にのぼせ、
「みんなわたしたちに焼きもちを焼いている」
などと聞いているほうがオショシクて赤くなるような期間を経て、結婚。
が、しやわせは1年と続かず、夫が発狂し、あげくにガス管を加えて自殺。
まさに
「占いの勉強になります」
の典型なのでございますです。
叔母は、お見合い相手と結婚はしましたが、心の中で「カチャ」と何かがかみ合いセットされたのかどうか。
男と女の世界であります。
その気になれば、何人とでも恋をすることは可能であります。
灼熱の恋を体験できることもワケはございません。
が、人生のパートナーとなると、心の「カチャ」が必要であります。
この音のしない相手と結婚すると、どこかで後悔するか破綻するか、面倒なことになるのであります。
しかし、「カチャッ」と鳴った相手が良質ん出来損ないなのかは別の話。
夏ばかりの人生も疲れますし、夏のない人生は味気ないもの。
今年を、人生に置き換え、命式を想像するのも悪くございませんですね。
近畿地方は7/31梅雨明け。そして8/7立秋。盛夏が正味7日間しかありませんでした。さらに苦月になってからのすさまじい暑さ。。異様です。
●十傳より→維新組などを支持する輩がいるからであります。
人の一生を春夏秋冬の四季にたとえますが…
麗らかな春から一足飛びに厳冬へと進む人生も
あるのでしょう。
吹雪の中でも「カチャ」と一度でも心の音が聞こえたら
しやわせではないでしょうか。
●十傳より→が、占いでは、お金か地位がしやわせの測定判断になるので、その感覚が難しいのであります。
時を経てば、すべて数字の如き無味無臭無肉のものと成り果てるのでは…感情愛情憎悪哀惜憐憫は芸術のような、いつか滅び失われるひと時の揺らぎではないかと、最近思うのです。
●十傳より→滅び方でありますね、怖いのは。
ご縁のある人、ご縁のない人。不思議です。
●十傳より→すれ違っだだけで一生会わない相手なんだけど、その人が幸運の使者である場合も。
トウが立った女と男の結婚の末路を教えて頂きありがとうございました。
●十傳より→未来ではなく末路というのが、儚げでイイですね。
9/5虎遁を実行しました。19年ぶりに行った場所がすっかり変わってて浦島太郎の気分です。
●十傳より→不思議な感じですよね。
いい女なのにいつも一人、とんでもないいい男と付き合っている可能性があります。
一見、気ちがいなのに天才だったり…。
●十傳より→気違いはステキですね。
最近、個人や組織に対して疑問が出てきていますね。
当初は誤魔化しや見てみぬ振りをしていたが、それも効かなくなって来ています。
そして、相性や運命の歯車が噛み合わなくなると、途端に瓦解し始めますね。いろいろ準備をしなければなりません。
その辺、他人は諦めているのか、飼い慣らされているのかわかりませんが、折り合いをつけていますね。本当にそれで良いのかと思うくらいに。
まあ、運命を変えようとしないだけかもです。
運命に抗うからこそ行動につながり、開運に繋がるのかも知れないとおもいます。
●十傳より→自分自身に飽き飽きすることも、結構ありますね。
昨今の出来事は歪みから来る反動なのではないでしょうか。
●十傳より→でしょーね。
やっと先生の奇門遁甲本が届きました
早めにネットで注文したのですが
予約がいっぱいで遅れたようです
早速活用させていただきます
●十傳より→お願いいたしますです。
熱意や情熱を表に出すことを強要する人は何を考えているのでしょうか。
個々の命式によって、熱意や情熱を発現させる方法は異なるにも関わらず。
挙げ句、根拠なき夢や理想論を語り始めると、聞いているこちらは覚めるのですが。
このような困った人に対処するオマジナイは有りますか?
あと、熱意や情熱を表に出すことは開運の条件ではないですよね。
見解をお聞かせいただければ、嬉しいです。
●十傳より→オマジナイはなくもないのでありますが、相手にそういうことを語らせる態度に原因があるのかもです。「話しにくいな」という演技が手っ取り早いのでは、と。
ありがとうございます。
やはりその方法が手っとり早いですよね。淡々と、飄々と実践してみます。
ただ、この手の輩はズカズカと無遠慮に踏み込んで来るので厄介です。まさに根競べの域ですね。
●十傳より→熱意があるのが正しいと思い込んでいるところがイヤですよね。熱意はバカと同義語なのに。