03.29
モリオカから北に40キロほどのところに、石川啄木の故郷、渋民村がごさいます。
「ふるさとの山はありがたきかな」
と詠んだ、その山とはきっと姫神山だと私メは勝手に信じているのでありました。
その渋民に、老母に乞われて向かったのでございました。
90歳になるオバが施設にいるのでございます。
ボケてしまって、もう20年近くもなるでしょうか。
下宿していた大学生と恋に堕ち、むりやり別れさせられ、独身を通しておりましたが、40歳あたりになってからある男性の後妻に入ったオバなのでございますです。
自転車の後ろに嫌がる私メを乗せ、畦道を遠回りして幼稚園に送ってくれたオバでございました。
受付の若い看護婦さんに案内されるのでしたが、二階の奥の扉を重たく開けられた時、
「そんなに悪いのですか?」
「はぁ、たぶんお会いになっても分からないと思いますよ」
と言われ、しばし沈黙。
「おっかねね」
老母は面会に来たことを後悔している様子でありました。
窓から春の田園が見渡せる部屋の、その窓側の部屋でございました。童謡が天井のスピーカーから低く流れておりましたです。
「浅田さん、浅田さん、起きて、お客さんよ」
看護婦さんはオバの顔をこするように撫でるのでありました。
もはや別人の顔。
口をあんぐり開け、老いた赤ちゃんのようでございます。
ああ、これではもうダメだ、こうなってしまってはダメだ。
老母は、それでもオバの手をさすり、「むっちゃん、来たよ。久しぶりだね。分かるっか?」と耳元で呼びかけるのでした。「春になったんだよ、バッケ採りにいぐべ。ワラビも採りさいぐべしね」
するとでございます。
象のように細く開いた目でオバは、ああ、ああ、と音を発するのでございます。「ういえ」と発し、こんどは「すぅ、すみえさん…」と老母の名を振り絞ったではありませんか。
「分かるのっか、わたしのごど」
オバはうなづく仕草を示すのでありました。
看護婦さんは、「たまに意識が戻られるようです」と言い、「みんなに来てもらって嬉しいんだよね」とオバに語りかけるのでございました。
ロケットが燃料タンクを落しながら、最後には小さなカプセルで宇宙に向かうように、オバも不要になった悲しい記憶やらを振り落しながら、やがて魂だけになってしまうのでございましょう。
私メにもオバは手をふると、いつしか寝入ったのでございました。
帰り際のドアの出口のドアのところで、それまで案内してくれた看護婦さんのふくらはぎがバカに美しいことに、はじめて気づいた私メでございました。
胸の痛みが伝わってきました。
特にお母様の気持ちを想うと辛いです。
今やっと仕事を終えたところで、帰える前にコメントさせていただきます。
おやすみなさい
お母様の心が穏やかでありますように
●十傳より→「胸にすがっておいおいと泣きてがったぁ」と帰りのクルマのなかで申しておりましたです。