2011
08.17

猛烈な熱気の東京駅から東海道線に乗り込んだのであります。

モリオカは雨でしたが、東京は干上がり、火薬のニオイが充満しているのであります。
ポロシャツはすでに汗だく。

冷たい空気は下へと流れるだろうという小学校程度の知識にたより二階建て車両の一階のシートに腰をおろすのでありました。

あとは品川、川崎、横浜、大船と車窓をながめるのみ。
もはや、昨日までのモリオカでの出来事は虚構のようであります。

ジョルノが迎えに出てくれたのであります。

吠えません。
尻尾を激しく振ることで私の帰宅を喜んでいるのであります。
なかなかいいイヌではありませんか。

お盆中に訪問したお宅ではイヌに吠えられ、いささか気分を害したこともございます。
カカトをガブリと噛みやがったイヌもございます。

飼い主はそんなイヌをわらってみているのであります。
家族の一員だからなのでしょうか。

だいたいにして日本人はイヌのシツケが甘いのであります。
客が来たなら吠えることはおろか噛みつくなどとんでもない話。別室にひかえるようにシツケることを、飼い主にシツケなければなりませぬ。

世の中にはイヌ嫌いの人もいるわけであります。
また口臭にも気をつけなければなりません。毎朝、歯磨きをする習慣は、いまや常識になりつつあるのであります。

おお…ロメオ。
待ち続けていたという目で私を迎えたのでございます。

人間の女殿もこうはいきませんです。
飛びつきたいのでありましょうが、ベタベタすることを私は好きではないと知っているのであります。
頭を撫でてやってからでないと私に甘えることはできないのであります。

やや痩せておりました。

こうしてアダスの日常は再開するようであります。

まぁ、その前に、部屋の冷房をつよめにして、イヌたちと昼寝などをいたしたのでありました。

2011
08.16

モリオカから北に一時間ほどの八幡平の中腹に、かつて一万人以上の人々で栄えた鉱山町がゴーストタウンとして、崩れたまま残っているのであります。

エロティックなのであります。

私メに子宮があるなら、その子宮がイタ痒く収縮し、何かにつかまらないと立っていられなくなる症状に見舞われるのであります。睾丸ではありませんです。睾丸の奥の部分。男の子宮というものがあるのかもしれません。

廃屋にお女性をつれこみ、オナニーに耽るところを見守ってほしいというような、恥ずかしい行為をさらけ出したくなる気分に堕ちていくのであります。
はるかむかし、味噌くさい納屋のなかで年上の女の子と性器を見せあいっこした時のような、震えるような官能をおぼえるのであります。

しばらくたたずむと高山病なのか軽い頭痛。
鎮痛剤を奥歯で噛みつぶしながら、舌先にひろがる苦さを味わうのでございます。

「ねぇーえー」
と、むろん風の音に違いありませんけれど、名前を連呼されている気分になることもございます。
まいとし、夏になるといちどは訪れる回帰の場所なのであります。

記録によると学校も病院も劇場も完備されていたといいますです。
この夏草に足を踏み入れると、過去へとつながる小径がございます。その道を歩いていけば、かつての夏祭りや運動会の歓声が聞こえてくるのかもしれません。

「どこさ行ってたのっさ、みんな待ってるよ。盆踊りはじまるえんよ」
と片耳だけピアスをした少女が手招いているかもしれません。
「ピアス落としたの?」
「あんやぁ、あんたに渡したえんちぇ」
ああ、そうだったとポケットをさぐると、もう片方のピアスかあるのであります。
少女のひんやりしたやわらかな二の腕を掴んで草原の奥へととけていってしまうのでありましょうか。

なかった過去が、この廃都にたつと懐かしくおもいだされ、たからかに放屁をならすのでございました。
男の子宮のうずきもしだいに弱まるのでありました。

2011
08.15

大嫌いなのに気になってしかたのない女がいるように、反吐が出るくらいに腹立たしい店でありながら定期的に顔を出してしまう店が、この「人魚の嘆き」という店でありました。

やっと閉店したということが、毎日新聞に載っておりました。

神楽坂に事務所を移転してからは二度ほどしか足を向けていませんが、神保町にいたころは二週間にいちどほどは顔を出してはバカに高い料金を払っていたのであります。

とうじA氏が編集した新書が200万部売れて、舞い上がったA氏に連れて行ってもらったのが最初でありました。ほとんど彼に「行くべいくべ」とせかされて通っていたものでした。

文壇バーということであります。

ギャッ! と飛び上がりたくなるではありませんか。
店名は谷崎潤一郎の短編小説から借りたものでありましょう。
よく知らない客たちは「人魚の涙」と間違えるのであります。

こういうところにたむろする連中はたいていは二流どころであります。
原稿の話題などをすると狭い店内は聞き耳をたて水を打ったように静まり返るのでありました。

お女給も、有名大学の文学部に席をおいている小生意気な女たちでして、かんぜんにもう出版社に就職しようという魂胆がみえみえでありました。
往復ピンタを唐突に喰らわせたら痛快だろうにとおもうのでありました。
○○出版の部長という名刺に弱いのでありました。
バリバリと洋服を引き裂いてやりたい発作に襲われるのでありました。そして、頭からお小便をぶっかけたらさぞやたのしいだろうと妄想をたくましくしていたものでりました。

私などは鼻でせせら笑われていたものであります。

それが閉店。
なんでも震災のボランティアのためだとか。

止めてけらんせ、といいたい気分でございますです。

しかし、イヤな店がなくなるというのは、お気に入りの店が失われるのと同じくらいに寂しいモノなのでございます。

アーメン。