2012
11.13

逗子市のストーカー無理心中が引き金でありましょうか。

私メに、「あの女を殺して、オレも死ぬ」とか「こうなったらあの人と刺し違えるだけ」という物騒な相談が続いているのであります。

そういう相談のあるときは、やがて大きな災害があるわけでありますが、それはソレとしまして、それほど熱く人を愛せるのは、むしろ羨ましいのであります。

「いや、愛してなどいない。憎んでいるんです。殺したいほどに」
と反論されるのでありますが、憎しみは愛の隣に潜む、もうひとつの愛の形。
相手の心が思うようにならないとき、愛はオセロのようにパタパタと憎しみに裏返るようであります。

ずいふん前のことでした。
60代の老人が、50代のお女性に狂い恋をしてしまい、やはり「殺したい」と私メの前で歯ぎしりしておりました。
その表情はティーンエイジャーでありました。

またあるときは、
「ご馳走されて、お礼を言わないといけないんでしょうが」
というメールを受け取ったことがございます。
ちょっとシャレたところでいっしょにメシを食った相手からであります。
「どうせ、必要経費になるんだものね。ハハハハ…」
たしか、こういう文面でありました。

勤め人と違い、個人事業者としては、必要経費になっても、そのまま資金が出るのにかわりはございません。
けれど、そういう弁解は愚かであります。
やがて、そのお女性は去って行ってしまいましたが、考えれば、こういう失礼な態度をとればストーカー被害にはならないかもであります。
いやいや、そういう簡単なモノではありますまい。

みんな濁情という病原菌に感染していると考えるのが正しいかもしれませぬ。

殺す、殺す、殺す、ぶっ殺す
死ね、死ぬ、死ぬ、死ね、死ね、死ね
この数日、私メは、何回も何回も、これらの言葉の呪文に汚染されておりました。

ベッドの上で交わし合う同じ言葉と違い、そこには寒々とした孤独がからからと転がっているばかりであります。

画像は、木星であります。
幸運の星、木星は、我々がどのように醜くても、あるいはたまに美しい気持ちになっても、ひとりで暗黒にまたたきつづけているのであります。

頭の血管がプチブチと破裂するように相手を憎み、「黙れ!」と出刃包丁を柄の部分までもぐるほど深く突き刺して、何も言わなくなった相手の、まだなまあたたかい血だまりのなかで自分も頸動脈を断って、一つになることは、美しい妄想なのか、許し難い現実なのか。

心の地下を流れて他者とつながる意識の中で感染は広がりつつあるようでありますです。