2012
12.17
12.17
茅ケ崎の徳州会の建物が取り崩されていたのであります。
この病院で、どれぼとの人々があの世に旅だったのでございましょう。
一人が死ぬことは、何人の悲しみをさそうのでありましょうか。
「お前が死ぬと、少なくても一人は悲しむ」
と言われたことがございましたが、たとえ一人が悲しんだとしても、その人も、やがては死んでいくわけであります。
とおもうと、人々は悲しむことを宿命づけられているとも考えられなくもないのであります。
ふと、乳がんのお女性が思い返されました。
「全摘なの」
と妙に明るい口調でありましたが、本人もお乳が失われることをリアルに考えられないのでありましょう。
いま、ここにあるものが失われるわけでありますから、当然かもしれませんです。
「でもね、お腹の脂肪をつかってキレイなオッパイになれるのよ」
という言葉も強がりでもなんでもないのでありましょう。
そして、ふと深夜に風の音を耳にしたりすると、不安と恐怖に包まれることでありましょう。
取り壊されるそのわきには、ベンチが置かれているのでありました。
バスを待つ間に、病院で知り合いになった人たちが、つかの間の会話を楽しんだのかもしれません。
震災の影響で、計画停電がございましたが、この周辺は、病院があったおかげで、停電を経験しないですんだと聞いております。
建物が壊されるというだけで、色々な影響が出るはずでございます。
人が死ぬと、思いがけない運命をこうむるのと同じように。
明日にしよう、来年にしようと先送りして、いいこととダメなことがあるものだと、この廃墟は告げてくれているようであります。