2017
01.09

不運はトンネルの暗闇に似ております。
が、不運の中では、それがトンネルなのか、出口のない横穴なのか皆目見当もつかず、深い絶望に浸るのであります。

何をしてもダメ。
努力の2文字がバカバカしく感じられますです。
努力したことが、すべて逆に作用し、何もしない方が良かったという結末も。
とにかくアホらしいのであります。

四柱推命では喜神運にさしかかると開運されるとして一条の光を与えております。

そして、それは40パーセントの人にだけ当たります。
開運するはずなのに、かえって悪くなる場合もございますです。

それは不運時の過ごし方に原因がございます。
不運時は、たとえれば土の中の時。

大運での開運は凄まじいスピードで訪れるのであります。
いきなり雨戸を開けたように光の矢が射してまいります。

その時であります。
多くのお方は、その光に眼球を刺し貫かれたような現象に盲となるのでございます。開運のはずが、逆によりすさまじい不運に転落いたします。

暗闇で、光の矢に対する訓練をしたものだけが「来ましたね!」と開運の恩恵を受けるのでございます。

不運の時にヤケになって大酒を喰らい、あるいは不貞腐れて怠けたり、自分のことをほったらかしにして人を妬み、関係のない他人の不幸を喜んだり…。
つまり不運の時にテレビや小説や音楽に耽った者たちは、ことごとく不幸の闇の中に埋没され、トンネルを出たのに盲目となるのでございます。スポーツ観戦も不運の元。Lineなどに夢中になっているお方も開運時に盲になる定めであります。

四柱推命をどこまで信じ切れるか。
知識としてではなく、生きる武器と出来るか。

自分の開運の限度を知り、方向性を正視するためにも、最後は、信じるという言い古された言葉しかございません。
信じられず、軽く勉強しようとするから、他の気学だの星占いだの適当な占いに逸れるのでございます。

と、私メは考え、自分のスクールだけは、いい加減なお水取りとか、そういうものを排除し、現実的なリアルな内容にしたいと思っておるのであります。

不運とは、言い換えれば準備期間のようなもの。
お女性の服を脱がせるまでのような雌伏の時かもしれませんです。