2017
12.23

鑑定を終え、横浜に急いだのであります。

当ブログで以前にお話ししたことのあるご婦人のご命日でした、ご遺族からお呼ばれしていたのでありました。
「手渡したいものがありまして」
そのなかに手紙もありました。

その手紙を地下の飯屋で読みました。

横浜はイブの前日+休日ということで、大変な混み方でございました。
喧騒のなかで手紙を拝読することが相応しいよーな気がしたのでありました。

驚いたことに、故人となられたご婦人は、鷲尾先生のお客様だったことが、その手紙にしたためられていたのでありました。
「なにか困ったことがあったならば、彼に依頼すればいいでしょう、と鷲尾先生はおっしゃられました」という意味の文章に目を引き付けられましたです。

彼とは、私メのことでありました。
劣等生であった、この私メに。
優秀な生徒さんが多くいたのに、私メに。

時を超えて、八丁堀の公民館の一室を教室としていた当時が想い出されました。

何をやっても挫折し、もう易者に堕ちるしかないと、やけっぱちで通った教室のことが、ありありと想い出されたのです。

「オノさんの良いところは、そこかもね」

講義をしていて、先生のその言葉はなんとなく理解しております。
優秀な生徒さんが簡単にクリアする部分に、私メは何度も引っかかりました。だから、講義で、「ここが皆さんは分からなくなるだろう」と劣等生ゆえのツボが分かるのです。そのツボを、薄紙を剥がすよーに、なんども繰り返し語るのが私メの講義であります。

占いは、失敗の経験が実になって解釈に厚みを持たせますです。
私メの良いところかもしれませぬ。

また、断易を占いとしてではなく、たとえば恋愛占であれば、そこに男女の息遣いのあることを伝えるために、エロ話をたとえに置くことにしているのであります。

五枚にわたる手紙を読み終え、
「これが、今回の玉女守門の効果かもしれない」
こんどは頭の中を、北の氷を浮かべた川が浮かんでくるのでありました。それは淋しく寒々とした風景でありました。

「だんだんと生徒の皆様は、私を、まだそんなことをしているのかと、憐れむように見るんですよ。それでいいんです。それが私の天からいただいた役目ですから」
鷲尾先生の言葉が聞こえました。

私メも、かくあらねばならぬと、手紙を封筒に仕舞い、ふたたび大混雑の通りに出たのでございました。