2018
12.10
己亥の年がそこまでやってきておりますです。
2月4日の立春を境に己亥年だと楽観してもいられませぬ。
たとえば、年末年始に誰かと出会い、それが引鉄となって、己という泥になずんでしまう危険性だってあるのであります。
己は五行で申せば土行。
ただし、同じ土行である戊とは性質を異にしまして、たとえば戊が岩とか固い土に対して、己は柔らかな柔土。つまり泥なのであります。
泥は、水を濁し、金を汚しますです。
つまり、生まれた日である日干が、辛日とか壬日などのお方は要注意の1年間のイントロが、すでに奏でられていると思った方がよろしいかと存じますです。
辛は宝石と言うイメージ。
壬は清水というイメージ。
これらが己で穢される危険性が告げられているのであります。
たとえば、黄金の器に、ウンコをされるようなものでしょーか。
聖水にオシッコガ混じったよーなかんじでありましょーか。
清楚なお方が穢されるわけであります。
ウンコをされた黄金の器を、たとえキレイに洗おうとも、その器でご飯を食えるかどーか。
一滴だけしか混入していないオシッコであっても、汚れたオシッコを飲めるかどーか。
世間では通用しないひねくれた思想にそまり、異性関係が乱脈になり、それらが醜聞となって仕事で悪影響を被るとか、『けがれ』がキーワードとなるのであります。
日干が火行のお方だとて油断はできませんです。
光も熱もパワーも、泥に吸われ、言動を誤解され、糾弾され、果ては不貞腐れてしまい暴言を吐いて、運勢を下落させてしまう危険性を伴いますです。
日干土行のお方は、役にも立たぬ者共が集まり、あらぬ期待をし、それが期待外れの空振りに終わり、そいつらの尻拭いをする始末。
日干乙だけが泥の沼地で赤い蓮の葉を開花できるかもしれませぬが、世間はそうは甘くはございませぬ。
気づいた時には、とんでもない境遇に流されていたというケースも想定できるのでありますです。
甲日は金運の年だから大丈夫だべなどと安心できませぬ。
バカな相手と偽りの恋に落ちてしまい、その愛欲の沼地から抜け出せぬことも想像に難しくございませぬ。
これを、どのよーに防ぐか。
十傳スクールの四柱推命は、そーいう面白いケースを取り上げて、声が枯れても解説いたしておるのでありますです。
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2018
12.09
やっと東京も涼しくなり始め、
「おお、年末かぁ」
と頬にあたる12月の風が心地よいのであります。
例年のとおり、キリスト誕生のジオラマを飾るのでありました。
年末のはじまりです。
ワイワイ騒ぎながら、一日がパラパラ動画のように過ぎていく贅沢は、12月だけの楽しみかもしれませんです。
昨日は、断易初等高等科の人たちで忘年会をいたしました。
ささやかな忘年会。
しこたま清酒を呷り、十傳スクール名物男の伴った「ぼくの彼女」と称する、謎の美女に「彼とのSEXはどーでしょーか?」とジジイ的質問を投げかけたりして、酩酊を自覚したものでありました。
が、事務所に戻り、二時間もすると酔いが冷めまして、「しやわせカード」作りに専念したのでございますです。
この世に生まれた意味などを考えたりもするのでありました。
意味などあるわけがなく、草が道端に生えているのと、さほど変わらぬこととは知りながら、それでも、
「これからどーする」
と自問しつつ、やはり酔いが残っていたのでしょーか、奇妙な哀愁にひたひたと浸るのでございました。
やがて2019年が来る…というより、2018年が終わってしまうという意識が強く、振り返っても何かがあるわけではないのに、それでも過去に意味を求めてしまうのであります。
雑踏をかきわけて歩くしやわせも、年末のたのしみのひとつ。
車窓を過ぎる家々のともしび。
今日の講義はあれで良かったのか、鑑定に完全燃焼したか、人の心を踏みにじったのではないか、勇気を出せたか、卑怯なマネはしなかったか、今日の自己評価は何点だ?
その「?」の数々を問いかけながら、部屋のあかりを消し、
「あっ!」
と、何かに気づき、けれど、それが何なのか分からぬまま、ふたたび部屋を暗闇にし、その意味を思いながら、意識を消すのでありました。
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2018
12.08
イブまでの数日間は、理由はまったくございませんが、しやわせな期間と申せますです。
私メも、年甲斐もなく、ケンタの前にたたずみ「クリスマス」の文字に心を震わせたりするのでありました。
キリストさんとは何の関係もなく、また聖書にだって東洋のはずれの人種を相手にして書かれてはおりませんのに、宗教とは切り離した幼児体験にあるのかもしれませぬ。
つまり、サンタがトナカイと、雪の草原をやってくるという絵本や、お話が、クリスマスという言葉の響きと、冷たい12月の風とが混ざり合うと、しやわせ感に包まれるのでありましょう。
ハッと気づくと、もう年寄で、サンタになれるお年ごろ。
そして、この時期は占いの鑑定がトドッと押し寄せるのでございます。
しやわせな期間だというのに、そのしやわせは儚いことを感じ取っているのでありましょーか。
占いを始めましてから、クリスマス前後に、人間らしい生活を営んでいないなぁと、顧みたりするのでございます。
そういう期間に、エアポケットのよーに、自由な時間がポツンと生まれたりいたします。
散歩に時間を使用するのであります。
おデートには時間が足りませぬ。
お花が贈られてきましたです。
香りのないのが特徴の、「すがしいものはない♪」と歌われたシクラメン。
お部屋に飾ると、からくれないの花びらの向こうから、お女性たちが手招きしている気がいたします。ずっとずっと昔にまじわったお女性たちが。
もはや老婆の域に達している彼女たちではありますが、
「若かったなぁ、あの頃は」
と、愛憎の思い出を、しみじみと語りたいとも思いますが、おそらく老婆までには達していないと妄信しているでありましょーから、私メの希望も妄想にとどまることでございましょう。
彼女たちの弾力を思い出の中に封印しておいた方が、しやわせと言うものかもしれませんですし。
しやわせなこの期間を、さらに濃縮させるものは古い洋画でございましょーか。
舞踏会の手帖とか、あるいはマービン・ルロイの若草物語とか哀愁、心の旅路とかの一連のモノクロ映画を。
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